【共通テスト対策】フクフクちゃんの現代社会・倫理・政治・経済

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【速修・過去問/創作問題】⑤基本的人権の尊重(1)精神的自由

01 日本国憲法において、基本的人権は、国家や法律によって保障される、侵すことのできない永久の権利とされる。
  • ✕ 創作問題だが、後段の「侵すことのできない永久の権利」あたりに目が奪われて罠に引っかかったのでは。結論部分ではなく、係りの部分に誤りがあると見つけにくい。長い文章、曖昧な文章は気をつけよう。基本的人権は、国家によって与えられたものでも、法律によって始めて効力をもつものでもない。「生まれながらの権利である」。

 

02 自由権や平等権は、国家権力による侵害から個人の権利や自由を守るために保障されたものである。
  • 〇 「国家からの自由」ということ

 

03 憲法は国家と私人との関係を規定したものであるから、人権の制限は、第一次的には国・地方自治体と私人との関係で問題となる。
  • 〇 これが根本的な考え方。しかし、以下に見るように、私人間については様々なケースがある。

 

04 憲法が保障する基本的人権は、私人相互間には適用されない。
  • ✕ 直接適用説があり、「適用されない」とは言えない。また、人権侵害については民法公序良俗不法行為によって人権を保護し、憲法の人権保障の考え方を適用すべきだという考え方もある。これを間適用説という。なお、公序良俗とは、公の秩序又は善良の風俗の略で、社会的に妥当だと思われる道徳観のこと。これに反する法律行為は無効とされる。「日産自動車定年差別事件」では、「憲法第14条の趣旨に鑑み」、民法第90条の規定により定年に差を設けるのは無効であるとされた。民法90条というのは「公序良俗」で、「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする」とされた。

 

05 憲法の人権に関する規定は全て、私人間の権利義務関係にも直接適用される。
  • ✕ 今度は逆に直接適用されるという文であるが、「全て」という強調構文は誤りが多い。直接適用されるもの、間接適用されるもの、適用されないケースもあるが、基本的には憲法の人権規定はあくまで国家の暴走を制限するためで、私人間の権利義務関係について規定したものではない。直接適用されると考えられているのが、秘密選挙、奴隷的拘束の禁止、児童酷使の禁止、労働基本権、家庭生活における個人の尊厳と両性の平等。「憲法は奴隷的拘束を禁止しているが、これには国家権力による行為だけでなく、私人による人身売買や強制労働の場合も含まれる。」といった現社の問題もある。これは当然○ということになる。

 

06 日本国憲法で規定された生存権は、国民に対する具体的な権利を定めたものではないとされるが、生存権を保障している法律が存在していれば、国はその法律の範囲内で法的義務が生じると考えられている。
  • 〇 かつてはプログラム規定説であったが、現在はこの「抽象的権利説」が有力な説になっている。

 

07 最高裁は、憲法上の人権保障は、性質上日本国民のみを対象とするものを除いて、外国人にも及ぶとしている。
  • 〇 「憲法第3章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべき」という判決文がある。従って、「最高裁判所は、憲法の保障する権利は国民固有の権利であり、外国人の人権は政策的に認められているにすぎないとしている。」といった文章なら✕

 

08 未成年者は、自分が訴訟当事者となった場合、その裁判で適用される法律が自分の基本的人権を不当に侵害していると主張できない。
  • 憲法上、未成年であろうと意見を表明する権利は保障されている。子どもの権利条約においても「意見表明権」が再確認された。ただし、民事訴訟については「未成年者及び成年被後見人は、法定代理人によらなければ、訴訟行為をすることができない」と規定されている。これはなぜか?これは、事理弁識能力が不十分なため不利になることがあり、それを避けるための立法である。保護するためのものであり、逆の言い方をすれば、民事については、法定代理人を通じて訴訟行為をし、意見を表明することができるということになる。なお、名誉毀損などの刑事事件については本人が訴訟することができるが、裁判では検察が起訴するので、事理弁識は問題とならないからである。また、民事、刑事ともに未成年者が加害者として訴えられることもあるが、責任能力があると判断されると本人に刑事罰もしくは賠償責任が及び、民事の場合は、本人に責任能力がないと判断されたとしても監督義務者に対して損害賠償請求がなされる。

 

09 最高裁は、三菱樹脂事件で、学生運動の経歴を隠したことを理由とする本採用拒否は、憲法の主旨を直接適用すべきで、違法であると判断した。
  • ✕ 思想・良心の自由に関わるもので、憲法の人権規定を私人間に直接適用することは認められないとし、違法ではないと判断された。先に見た憲法が私人間では直接適用される訳ではないというケースの典型例である。

 

10 思想・良心の自由は私人間では制約されることがある。
  • ○ 思想・良心の自由は、内面の自由として最も尊重されるものではある。しかし、三菱樹脂事件のように、国家と私人間では「国家が思想・良心の自由を侵すことは許されない」が、私人間では思想・良心と言えども制約されることがあると結果的には判断された。ただしこの判決には批判も強い。

 

11 政教分離の原則は、信教の自由の観点から定められた原則である。
  • 政教分離( the separation of church and state)という言葉は憲法には直接示されていない。信教の自由を保障するための「制度的保障」であると言われている。つまり、政教分離憲法上の人権ではないが、国家と宗教を切り離すという原則によって、信教の自由を保障しようとするものである。しかし、首相や閣僚の靖国神社公式参拝に代表されるように、政教分離原則に抵触するのではないかと問題になる事例も少なくない。

 

12 津地鎮祭訴訟、愛媛玉串料訴訟の政教分離に関する訴訟は、いずれも合憲判断が下された。

 

13 最高裁は、国や地方公共団体の行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が特定の宗教への援助や圧迫になる場合には、政教分離の原則に反すると判断した。
  • 〇 目的・効果基準というもので判断  なお、北海道砂川の「空知太神社」訴訟もこの基準に基づいて違憲とされた。「市有地」を神社に無償で提供していたもの。センターでも、★2022年政経第1日程でもこの訴訟が出題された。最高裁違憲判決の一つで「表」にも掲載されているが、教科書本文では扱われていないので見逃しがち。3つの訴訟全部インプットしておこう。

 

14 学問の自由の保障は、学問研究の自由の保障のみを意味し、大学の自治の保障を含んでいない。
  • ✕ 学問の自由の内容は、学問研究の自由、研究発表の自由、教授の自由、大学の自治である。「大学の自治」とは、大学内の問題について、外部から干渉を受けずに、大学構成員により意思決定を行い、管理、運営すること。学問の自由そのものを保障するための「制度的保障」。●2021現代社会第2日程「大学における学問の自由を保障するため、大学の自治が認められている。」→正しい。こうした学問の自由といった条項はアメリカや英仏ではないそうだ。明治憲法下、学問の自由が保障されなかったことが背景かと思われる。なお、菅政権下、学術会議の任命拒否問題が生じた。今後どのようなかたちになるのか不透明だが、こうしたリアルタイムの事件にはぜひ関心を持ち、自分の意見を持とう。

 

15 大学の自治をめぐって争われた訴訟に東大ポポロ事件がある。
  • 〇 学生演劇は大学の自治の範囲外で、校内の警察活動は合法と判断。

 

16 表現の自由は、外面的精神の自由であるので、制限されることがある。
  • ○ 思想・良心の自由は、内面の自由で、制限されないが、表現の自由は、チャタレ―裁判、石に泳ぐ魚事件などの例もあり、制限されることがあり得る。なお、センター問題現社で「精神の自由の一つである表現の自由は、民主政治を存続させていく上で必要なものであるため、制約を受けることはない。」と、前段をつけることで迷わそうとする文章が出たが、もちろん✕。制約され得る。しかし一方で、表現の自由は大事な人権である。●2021現代社会第2日程、「表現の自由は、自由なコミュニケーションを保障するための権利であると同時に、民主主義の実現にとっても重要な権利であるとされる。これは正しい。なお、以下のことをしっかりと肝に命じてほしい。日本は「同調圧力」が強い。しかし、異議申し立ての主張に耳を傾け、たとえその主張に同意しなくても、誰もが人権を主張する権利を守ること、これが大事ではないか・・・。倫理で登場してくるフランスの啓蒙思想ヴォルテールは言っている。「私はあなたの意見には反対だ。 だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」“Je ne suis pas d’accord avec ce que vous dites、 mais je défendrai jusqu’à la mort votre droit de le dire”・・・いつの日にかフランス語を勉強して、その息吹を感じ取ってみなさい。

 

17 日本国憲法は、検閲という形で表現の自由に制約を加えることを禁止している。
  • 〇 検閲とは、国家権力が発表前にその内容を精査し、不適当と判断した場合「発表を禁止すること」。表現の自由を保障するとした上に、さらにわざわざ「検閲は、これをしてはならない」と念押しをしている。 

 

18 チャタレー事件では、表現の自由と言えども公共の福祉に制限される場合もあるとし、小説はわいせつ文書として販売を刑法違反と判断された。
  • 〇 検察が刑法175条のわいせつ訴えたもの。国家権力によるものではあったが、事前差止めではないので検閲自体にはあたらないものの、戦後認められた表現の自由を侵すものとして翻訳者伊藤整は激しく抵抗した。結果、1957年最高裁でもわいせつと判断されたため、後に一部を削除した形で、別の出版社から新たに出版された。

 

19 家永教科書裁判では、最高裁は教科書検定自体は検閲にあたらないと判断した。
  • 教科書検定制度自体については、最高裁で「公共の福祉」によるやむを得ない限度の制限を受けるものであり、教科用図書検定で不合格となった教科書が一般図書として販売されることは禁止されていないのだから、検閲ではないと判断された(異論はある)。ただし、「家永教科書裁判」では、検定処分の一部が「違法」であったという判決がくだされ、原告が一部勝訴した。

 

20 「石に泳ぐ魚」事件では、プライバシー権の侵害は認めたが、出版差し止めは表現の自由の観点から認めなかった
  • ✕ 出版差し止めは厳しい制限であるが、これを認めた ただし、ここで注意 出版差止めなので、これって検閲じゃないの? ところがこれは検閲ではない 検閲はあくまで国が行うもの。これは訴訟で「私人」間のものなので検閲には当たらないのだ  このあたりの認識を問う問題が作成される可能性もある。なお、現社の問題で、「最高裁判所は、裁判所による雑誌の発売前の差止めが、憲法で明示的に禁止されている検閲に該当すると判断した」というものの正誤を問うていた。これは北方ジャーナル事件とよばれるもので、実は誤りで、検閲に当たらないと判断された。その背景も、「私人間の紛争」であったためである。「括弧つけ問題」で判断中止でよかったが、このような教科書に出ていない事例を引き合いに出されることもある。ただし、繰り返して言うが、その場合は、他に明らかに光ったものがあるので、あまり気にしないで、基礎事項を各自で自分のものにしておこう。

 

21 組織的な犯罪を防ぐために提出された通信傍受法案は、通信の秘密、表現の自由などの基本的人権を侵害する恐れがあるとし廃案になった。
  • ✕ 法として制定されたが、慎重な運用が望まれるとされている