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【今日の時事問題】「安保関連3文書」改定の「閣議決定」について

時の流れは止まってくれない。

共通テストに向けて、予想問題などのアップに追われて、時事問題コラムが止まってしまった。しかし、この間も、時の流れは止まってくれない。いや、それどころか、私の時計が止まっていた昨年末、国民不在のままの「大転換」が断行されてしまった。

言うまでもない、岸田内閣による国家安全保障戦略を含む「安保関連3文書」改定の「閣議決定」のことである。

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相手国のミサイル発射拠点などをたたく、「反撃能力」を保有することを定め、防衛費の歴史的な増額や、他国の領土を攻撃可能にする装備の導入などが盛り込まれ、戦後日本の防衛政策が大転換された。にもかかわらず、国会開催中ではなく、閉会後にこの決定をし、熟議も、国民への説明も後回し。新戦略の内容だけではなく、政策の大転換が国民不在のままで決定されたと、決定過程にも批判が強く上がった。
現在、年が明け、通常国会が開催されたが、この大転換についての説明は、手の内を明かさないといった理由から実像を隠し、具体性を欠いたままである。
以下、三つの側面を補足・確認しておきたい。

 

・「反撃能力」をもつことは「専守防衛」と矛盾しないかどうか?

 「専守防衛」は国会決議を伴ったものではないにせよ、1980年代から国是とされている。飛んできたミサイルを撃ち落とす・・・ここまでしかとれないとしていたのが、日本の方針であった。

しかし、今回、敵の基地を攻撃できるという転換を図ったことになる。当然、「専守防衛」の範囲を超えたものと捉えるのが一般的な感覚ではなかろうか。

そして、今回の転換にあたって、岸田内閣は、「専守防衛」を逸脱していないという。相手が攻撃に着手しようとしているなら、たとえ、ミサイルの発射前であったとしても、自衛のための不可避な行為で、専守防衛の「範囲内」だと。周辺諸国ミサイル能力が変わったので、自衛の方法自体を変える必要があるという説明だ。

だが、もし、それが「先制攻撃」になったとしたら国際法違反になるのではないか、また、相手に壊滅的な打撃を与えることになれば憲法9条に反することになるのではないか・・・といった疑義が広がっている。

 ※ここで受験生にぜひ確認してほしいことは、「先制攻撃」が国際法では禁止されていること。ただし、個別的自衛権集団的自衛権は認めている。超頻出事項なのでインプットしておきたい。

 

・「反撃能力」をもつことは「抑止力」につながるのか?

この点については懐疑的な見解が多いようだ。日本の反撃能力が、相手にとって決定的な脅威とならない限り、抑止は成立しない。

しかし、日本の反撃能力がそのようなレヴェルに達するためには相当な拡張が必要となる。それは現実的ではない。それより、反撃能力の保持は不用意な挑発行為となり、相手国による攻撃能力増強に理由を与えてしまうという危惧が強い。むしろ、「専守防衛」こそが、徹底した平和主義こそが、最大の戦争抑止力ではないか・・・と、私も思う。
 日本は、戦後、平和主義を基底にして国際的な信頼を回復してきた。政府開発援助や技術移転を通じて世界の平和と発展に貢献してきた。私自身は、過去の先人たちの努力を踏みにじり、そして将来世代に大きな負の遺産を課す、二重の誤ちだと思うが、若人よ、どう考える?

 

閣議決定だけで決めてよいのか?

受験生は、こんな大事なこと、「閣議決定だけで決めてよいのか?」という疑問をもつはずである。当然である。
しかし、「安保関連3文書」は「法律」ではない。

「法律」なら国会の審議・決議が必要だが、「行政権は内閣に属し」、政府全体に貫徹されるべき決定・方針・合意事項は閣議で決定できるとされている。その決定は憲法や法律の範囲内で行わなければならないものであることは言うまでもない。
ところが、実は、そこがグレーゾーンと言うか、抜け道。
 安倍政権下、それまで認めていなかった「集団的自衛権」を閣議決定で決めたことは受験生なら承知のはず。この憲法「解釈」の変更によって、日本が攻撃されていなくても自衛隊の海外での武力行使を可能にするものとなった。これも大きな批判があがった。しかし、そのまま押し通された。そして、今回も憲法「解釈」の変更によって、軍事的な装備が歯止めなく拡大する道を切り開いてしまった。

 

若人よ。どう思う?これらの変更は、「憲法改正」をかけて、国民に問うべき問題ではなかったか?解釈の変更などによる密室政治ではなく、正面から国民に変更の必要性を訴え、国民の審判を仰ぐ必要性のある問題ではなかったか。
 閣議決定だけで決めさせた、今の政治状況、メディア、そして有権者の民主主義に対する熱意と覚悟の欠如・・・
 少なくとも、国のカタチを決めるようなこのような大問題は、我々国民が判断しようではないか。そして、熟議の結果、それどのような結論であろうとも、その判断を尊重する・・・そんな日本を取り戻そう。

 時の流れは止まってくれない。一旦決められたことは変更し難い。
 しかし、自身の命もそう長くはない。であるからこそ、若者に、未来の世代のために、責任ある選択と、情報発信に努めなければならない。その思いがますます強まる日々である。