【今日の時事問題】LGBT理解増進法(LGBT法案)について
LGBT理解増進法
前回、変容してしまったLGBT理解増進法について触れた。
修正前の法律案は以下のリンクから見ることができる。
修正案の内容
そして、以下の修正案が提出され、可決された。
性的指向及び性同一性の多様性に関する国民の理解の増進に関する法律案に対する修正案
性的指向及び性同一性の多様性に関する国民の理解の増進に関する法律案に対する修正案
性的指向及び性同一性の多様性に関する国民の理解の増進に関する法律案の一部を次のように修正する。
題名及び本則(第十一条を除く。)中「性同一性」を「ジェンダーアイデンティティ」に改める。
第一条中「法律は」の下に「、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解が必ずしも十分でない現状に鑑み」を加える。
第六条第二項中「関し」の下に「、家庭及び地域住民その他の関係者の協力を得つつ」を加える。
第十条第一項中「、民間の団体等の自発的な活動の促進」を削り、同条第三項中「ための」を「ため、家庭及び地域住民その他の関係者の協力を得つつ、」に改める。
第十一条の見出しを「(性的指向・ジェンダーアイデンティティ理解増進連絡会議)」に改め、同条中「性的指向・性同一性理解増進連絡会議」を「性的指向・ジェンダーアイデンティティ理解増進連絡会議」に、「性同一性の」を「ジェンダーアイデンティティの」に改める。
本則に次の一条を加える。
(措置の実施等に当たっての留意)
第十二条 この法律に定める措置の実施等に当たっては、性的指向又はジェンダーアイデンティティにかかわらず、全ての国民が安心して生活することができることとなるよう、留意するものとする。この場合において、政府は、その運用に必要な指針を策定するものとする。
附則第三条中「性同一性」を「ジェンダーアイデンティティ」に改める。
全ての国民が安心して生活できるように留意する
「全ての国民が安心して生活することができることとなるよう、留意する」と、偏見を拭いきれない「多数派」を想定した配慮規定が盛り込まれた。
「多数派」の人々が安心できる範囲でしか理解を広げることはできないことになった。
家庭及び地域住民その他の関係者の協力を得る
また、学校教育については、「家庭及び地域住民その他の関係者の協力を得る」という文言が追加された。
このことがどういう意味をもつか、高校生諸君、想像できるであろうか?
家庭や地域住民が異議を申し立てれば、性の多様性に関する教育・啓発・相談体制等が外部からの規制を受けかねないということだ。
ここでもまた、多数派の人々が安心できる範囲でしか取組を進めることができないということが重くのしかかる。
「性自認」・「性同一性」・「ジェンダー・アイデンティティ」
「性自認」
既に行政や司法で定着していた「心の性」である「性自認」という用語であった。
「性自認」とは、自分の性をどのように認識しているか、どのような性のアイデンティティ(性同一性)を自分の感覚として持っているかを示す概念である。
「性同一性」
しかし、与党案では「性同一性」といういささか分かりづらい用語になっていた。
「性自認」も「性同一性」も英語の「ジェンダー・アイデンティティ」の訳語であるが、「性自認」だと「自らの認識で性を決定できる」と解釈されかねない。
また、その時の気分での性別の自称を認めるとなると、男性が「今日から女性になる」と言って女性用トイレに入るなど悪用の懸念があるとのこと。
一方、「性同一性」だと、継続的・一貫的なニュアンスが強くなり、先のような懸念を防止できる。さらには、以下のような指摘もある。
自民党保守派には、トランスジェンダーは「性同一性障害」であるという、あくまで「障害」の枠にとどめておきたい意図がある。自民党の会合に出席した西田昌司参議院議員は、記者団に対し「性同一性は医学的な用語」と明確に述べている。
もちろん、ここでは医学用語ではなく、法学用語の観点からの正しさが求められているのはいうまでもない。だが、昨年改訂されたWHOの国際疾病分類「ICD-11」では、「精神疾患」のカテゴリーから「性同一性障害」という概念はすでに削除されている点を確認しておきたい。
引用元:LGBT法案「大きく後退」修正案の問題点を解説(松岡宗嗣)
結果的には折衷案として、「性自認」と「性同一性」のどちらにも訳せる英語の「ジェンダー・アイデンティティ」になったが、地方自治体では「性自認」で既に定着していたことから、この齟齬をめぐって地方自治体に不要な圧力がかかってくる懸念もある。
「不当な差別はあってはならない」(3条)
(基本理念)
第三条 性的指向及び性同一性の多様性に関する国民の理解の増進に関する施策は、全ての国民が、その性的指向又は性同一性にかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのっとり、性的指向及び性同一性を理由とする不当な差別はあってはならないものであるとの認識の下に、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資することを旨として行われなければならない。
www.nhk.or.jp2021年に提出が見送られた法案では、「差別は許されない」という文言であった。
しかし、今回提出された法案は、「不当な差別はあってはならない」に変更された。この両者のニュアンスの違いが分かるであろうか?
差別はそもそも不当であり、「正当な」差別などない。
では、なぜ、「不当な」という一言を付け加えたのであろうか?
これは「不当」と言えるほどのものでなければ差別ではないと、偏見を拭いきれない一部の「多数派」を擁護する予防線をはっているかのようだ。
なお、「差別は許されない」という言葉自体は、これをもって差別を禁止した規定という訳ではない。あくまで「理念法」であって罰則規定がある訳ではない。
3つの差別解消推進法
このあたりも受験生には知っておいてほしいが、2016年に三つの差別解消推進法が施行された。
障害者差別解消法、ヘイトスピーチ解消推進法、部落差別解消推進法
いずれも差別解消をめざした法律で、「差別は許されない」との精神が貫かれているが、これもあくまで「理念法」であって罰則規定がある訳ではない。
LGBTに関しては差別解消法ではなく、「理解増進法」にとどまった、そのあたりの踏み込みの弱さが、「不当な差別はあってはならない」という文言に露呈していると言えよう。
認知症基本法
なお、今国会で、LGBT理解増進法と同様に「議員立法」として提出された「認知症基本法」は全会一致で採択された。
認知症の人が希望を持って暮らせるように国や自治体の取り組みを定めたものであるが、認知症は誰にとっても「自分ごと」。
「他人ごと」であるLGBTとは違う・・・ということなのか?
LGBTからSOGIへ
しかし一方で、世界的な潮流は、LGBTからSOGIへ。
おそらく今どきの高校生なら家庭科等でもSOGIという言葉を習っているはず。
・性的指向(Sexual Orientation)と、
・性自認・性同一性の(Gender Identity)
の頭文字をとったものである。
そのあり様は、性的マイノリティだけでなく、誰もが一人一人に違いがある、多様だという考え方である。
これまでは、「LGBTの人たちに配慮しよう」であったが、「一人一人のSOGIを尊重し合おう」、性別にかかわりなく、「自分らしく生きよう」という掛け声がグローバル・スタンダードになっている。
これだと「自分ごと」である。
ただし、その前提に「あるもの」があるから、この言葉を発することができる。
意味が取りづらいかもしれないが、「あるもの」とは何か?
「性的マイノリティに対する差別を禁止する法」の制定がそれである。
日本にはそれがない。共生社会の実現を謳いつつも、2歩も3歩も後れを取ってしまっている。
政治の動きは鈍いが、ただし、司法では動きも出てきた。
次回は、司法の世界では、同性婚の禁止に関して、「違憲」「違憲状態」といった判決が立て続けに出ていること、この点に触れよう。