42 第二次オイルショックがサミット結成の契機となった
- ✕サミット(先進国首脳会議)は1973の第一次オイルショック後の1975年に初めて開催 フランス大統領の提案でスタート。 米英仏、西ドイツに日本、これに伊も加わって。その後カナダが加わり、さらに1998年からロシアが加わりG8。現在はロシアが除名されG7。
43 第二次オイルショックの背景にイラクでの革命があった。
- ✕イラン革命。1979年のこと。
44 イラン革命は、イスラム原理主義による政治から国王による開発独裁へと転じた革命であった。
- ✕国王による親米路線から、イスラムの法学者が指導する体制に。指導者ホメイニにより、反米・反ソ路線に転換。
45 イラン革命が生じた年、ソ連がポーランドへ侵攻したことで米ソの新冷戦と呼ばれる状況が生まれた。
46 ソ連のアフガニスタン侵攻に対して西側諸国はモスクワオリンピックのボイコットを行った。
- 〇逆に4年後のロサンゼルス・オリンピックでは東側がボイコットした。
47 レーガン大統領によって、対ソ防衛網を宇宙空間にまで展開しようとするSDI戦略防衛構想が打ち出された。
48 1985年ソ連でゴルバチョフが書記長に就任すると、ペレストロイカやグラスノスチを推進した。
- 〇個人的には、ゴルバチョフこそ、戦後の世界を最も大きく変えた男の一人だと思う。
49 ゴルバチョフは外交面では緊張緩和政策をとった。
- ✕「新思考外交」・・・現社ではこの用語が問われるんだね・・・。なお、1989年にはアフガニスタンからも撤退。
50 1987年米ソ間で、中距離核戦力(INF)全廃条約が調印された。中射程の核運搬手段(ミサイル)の全廃を目指すものであった。
52 マルタで米ソ首脳会談が行われ、レーガンとゴルバチョフが「冷戦の終結」を宣言した。
54 東西ドイツの統一後に、ベルリンの壁の開放が実現した