【共通テスト対策】フクフクちゃんの現代社会・倫理・政治・経済

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【速修】⑪国際政治・情勢(4)冷戦終結・地域紛争勃発(1989年~のおよそ10年間)

55 冷戦終結後、1990年イラクのクウェート侵攻に端を発し、米欧軍を主とする多国籍軍がイラクを攻撃する湾岸戦争が生じた。

 

56 イラクのクウェート侵攻に際して、安保理は全会一致で多国籍軍の派遣を決議した。
  • 〇1950年の朝鮮戦争以来の「国連による軍事的措置」の決定で、冷戦の終結、米ソの対立の終わりを「象徴的に示した」ものでもあった。ソ連も拒否権を発動せず、「イラクに対する多国籍軍による武力攻撃は、国連の安全保障理事会の決定に基づいたもの」であった。しかし、今再びロシアが暴走。ロシアが拒否権を発動し、また第三次世界大戦の危機があるということで、「国連による軍事的措置」で阻止できないという絶望的なジレンマに我々は陥っている。

 

57 日本はPKOとして湾岸戦争に自衛隊を現地派遣した。

 

58 ソ連と東欧諸国は新たに独立国家共同体を組織した。
  • ✕この何とも言えないアバウトな文章が現社らしい。「1991年ソ連が解体し、ソ連を構成していた共和国のうち「グルジアジョージア」と「バルト三国」を除いた11の共和国で独立国家共同体CISを創設」が教科書的説明。緩やかな連合体へと移行し、国連常任理事国の権利はロシアが引き継いだ。もともとはEC型を意識したものであったが、現在、ほとんど有名無実化してしまっている。それどころか、ロシアがウクライナ侵略。

 

59 ソ連の解体後、ロシアはエリツィン大統領の下で市場経済への移行をめざした。
  • 〇まずそもそもソ連が解体したのは何故か?一つは、民主化の進展を契機に民衆の不満が噴出、その過程で「民族」という「パンドラの箱」を開けてしまったからであった。130 もの民族を抱える多民族国家ソ連。これが一つであること自体に無理があったということ。もう一つは、経済的に低迷・・・それを立て直すためにゴルバチョフは改革しようとしたが、古い体制が残存し、むしろ深刻な食糧難に陥ったりとより深刻化してしまった。そこにより急進的な改革派であったエリツィンゴルバチョフに迫り、CIS創設、ソ連解体を実現させた。そして、問題にもあるように、ロシア共和国は「ロシア連邦」と改称し、エリツィンは初代大統領として資本主義化を強行することになった。しかし、承知の通り以降ロシアは低迷。それがプーチンの暴挙の背景となった。

 

60 ワルシャワ条約機構は解体された。

 

61 西側諸国も COCOM(対共産圏輸出統制委員会)を解散した。
  • 〇東側のコメコン解散とともに、それまで対共産圏の輸出を規制していたCOCOMという組織も解散した。教科書には出ていないものではあるが、かつてセンター試験政経で出題実績があるので、COMECONと混同しないように区別しておこう。

 

62 米とロシアは1993年戦略「核弾頭」の削減であるSTARTⅡ(第2次戦略兵器削減条約)に調印した。 
  • 〇第1回は1991年のソ連時代。ミサイルではなく、「核弾頭」の削減であるところが重要。

 

63 冷戦終結後、東西両陣営の対立がなくなってしまったため、非同盟諸国の活動の前提が崩れ、何のための非同盟・中立かを再検討しなければならなくなった。
  • 〇現社の2000年の問題だが、正文として選ばせている。かつて「非同盟諸国会議」が第三勢力として存在感をもっていた時期があったが、冷戦終結後、存在感が低下してきたことを物語った出題であったのだろう。ところが今や、もっと影が薄くなった。現在も100を超える国が加盟し、中国やブラジルなどもオブザーバー国として名を連ねてはいるが・・・。受験生としては、冷戦期には意味をもっていた程度の認識でよいかも知れない。

 

64 1993年イスラエルとPLOの間でパレスチナ暫定自治協定が調印され、ヨルダン川西岸とガザ地区にユダヤ人の暫定自治政府が成立した。

 

65 1993年リスボン条約によってEU大統領、外相の設置が決まった。

 

66 アジアでは、1994年、中国が中心となってアジア太平洋地域の安全保障問題を協議するARFが発足した。
  • ✕ARFは「ASEAN地域フォーラム」。中国ではなくASEAN。これに日・韓・中・米・ロシア・インド・オーストラリア・EUも加わっている。ASEAN諸国だけではないことも問われたことがある。なお、ASEAN諸国は「非核兵器地帯条約」を結んでいるが、東アジアにはそれに匹敵する条約がないことも知っておこう。

 

67 1991年南アフリカでは白人のデクラール大統領がアパルトヘイト終結宣言を行い、1994年には新しく黒人のネルソン・マンデラ氏が南アフリカ大統領に選出され、黒人の権利確保が図られた。
  • 〇ともにノーベル平和賞受賞。なお、「オーストラリアでは、「白豪主義」という、白人を優遇する移民政策が採られていたが、現在では廃止されている。」という出題もあり。これは1979年という、もっと前のこと。

 

68 1995  旧ユーゴ内戦でNATO軍がセルビア勢力に空爆を実施した。 
  • 〇1991年ソ連が崩壊すると、それまで対ソ連で団結していた旧ユーゴ(かつてティトーというカリスマ指導者のもとで非同盟諸国のリーダーとして存在感をもっていたが)であったが、多民族国家であるがゆえに分裂することに。しかし、中心民族であるセルビア人が分離独立を弾圧・・・ムスリム(イスラム教徒)の多いボスニア・ヘルツェゴビナの分離独立も認めようとせず、民族紛争が激化した。これに対して、アメリカでは、人道的立場からの問題の早期解決に指導力を発揮すべしという国内世論に押され、NATO軍によるセルビア攻撃に踏み切った。

 

69 1997 香港(旧英国領)返還、この結果ヨーロッパが中国にもっていた植民地が消滅した。
  • ✕1997年の返還は正しいが、1999年の マカオ(旧ポルトガル領)返還によりヨーロッパが中国にもっていた植民地が最終的に消滅。「時事問題」であろうが、今はそういう順番より、香港、マカオがそれぞれイギリス、ポルトガルから返還され、ともに資本主義や独自の政治制度が認められるという「一国二制度」体制となったということが重要。さらに、そう言いながらも、中国政府が香港の選挙や言論の自由に干渉し、制度が守られていないと主張する香港市民も多く、抗議する市民デモが頻発している、これが今の「時事問題」。

 

70 セルビアでのコソボ紛争にNATO軍が投入されたが、国連安保理決議を経ていないものであった。

 

71 1998年、インドとバングラディシュが核実験の応酬を断行、緊張が高まった。