01 現在、政治家のほとんどは政党に属し、比例代表制の場合、政党の公認を受けていなければ出馬できない。
- 〇参議院の比例代表制は個人名もOK、しかし、最終的にはあくまで政党ごとに当選人数が割り振られるので無所属では駄目。 なお、政党は英語ではparty アメリカ 共和党はRepublican Party 共和国の政党という意味 民主党はDemocratic Party 民主主義の政党という意味
02 政党は、政治的意見、縁故、利害などで結びついた排他的な集団で、政権の獲得と政策の実現をめざす政治集団である。
- ✕前段は「派閥」の説明 政党は特定の政治的理念のもとに結集。 なお、こんな問題も出題されている。「政党は、国家機関としての地位を憲法により保障されている。」これも✕。憲法にそのような記述はない。
03 ★政党を結成するためには、国の許可が必要である。
- ✕2021政経第2日程の問題。基本的には政党は任意団体で、結成するためには国の許可はいらない。その根拠は?そう、憲法。「結社」の自由が保障されていることを想起しよう。ただし、政党助成制度ができたのを機に、「法人」としての政党の定義づけが行われ、その対象になるためには、国会議員が5名以上いること、あるいは国会議員が5名未満の場合、直近の国政選挙で2%以上の得票をしていること、といった条件が設定された。あくまで、政党助成制度のものだけど。なお、2022年現在、この対象になっているのが8党。共産党はこの制度に反対しているのでこれに含まれないが、8党全て言えるだろうか?
04 日本の政党は、国民を党員として広く取り込んでいるところに特徴がある。
- ✕党員は自民110万、公明44万、共産30万 他も極めて少なく、限定的。
05 大衆政党は、1960年代に、先進各国で脱イデオロギー化が進み、階級対立が曖昧になる中で登場してきた政党類型である。
- ✕政経の問題。大衆政党ではなく「包括政党」の説明である。自民党がそれであり、国民の幅広い層から支持を受けるために、総花的な政策を掲げた。
06 日本の政党の多くは、党議拘束が弱く、個々の多様な意見を尊重する包括的政党である。
- ✕日本は政党の党議拘束が強いと言われている 包括的政党とはあらゆる階層を支持基盤としているという意味 二つの部分で誤りを含んでいる。これは創作問題であるためで、センター問題は誤りは通常一箇所。なお、アメリカは党議拘束が弱い。
07 日本の本格的な政党内閣は昭和になって生まれた。
- ✕大正時代の原敬による 立権政友会の議員を中心に組閣
08 戦後に成立した55年体制とは、1955年に自民党と日本社会党の二大政党が誕生し、以降、保守・革新の二大政党による政権争いが行われることになった対立図式のことを言う。
- 〇戦後の冷戦・東西対立を背景に「保守conservatives」対「革新reformists」という55年体制が成立した。この「二大政党による政権争い」という文言なら〇だが、「55年体制の下では自由民主党と日本社会党が衆議院の議席の多くを占め、両党が政権交代する二大政党制であった。」は✕。「政権交代までには至っていない」。また、「1950年代には、保守合同により自民党が結成され、それに対抗して左右社会党が統一された。」という「括弧つけ問題」が出されたことがある。先に左右に別れていた社会党が統一され、その後の保守合同により55年体制が成立した。政経問題だが、教科書にもそのような流れで記載がある。教科書をよくよく読み込んでおく必要性を痛感する問題。
09 自由民主党は、日本民主党と自由党の保守合同で成立し、1993年まで与党であり続けた。実質的には55年体制は自民党一党優位体制であった。
- 〇日本はあくまで西側陣営であり、アメリカとの同盟関係を重視する自民党が政権を握り続けた 自民党は、前に触れたように、国民の幅広い層から支持を受けるために、総花的な政策を掲げた「包括政党」として長期政権を維持した。いい意味では懐が深かったが、金権政治など様々な弊害も生じた。
10 55年体制のもとでは、自民党内の派閥間での抗争が激しく、派閥間で政権交代が行われたという特徴があった。
- 〇二大政党による政権交代には至らなかったが、当然、舵取りの変化が求められる中、政権交代自体は行われた。しかし、あくまで自民党内での交代であって、長期政権による腐敗も生じることとなる。また、「自民党政権では、自民党が派閥を中心とする集団であるため、閣僚の任命も派閥の推薦に基づいて決められることが多かった。」これも〇。これは、内閣総理大臣のリーダーシップが制約されてきた要因の一つでもあった。
11 1970年代から80年代にかけては、社会党が野党第一党として革新勢力を合同し、単独で自民党と拮抗することが度々あった。
- ☓この時期は「野党の多党化」が進んだ 公明党・民主党・社民連など 結果として社会党は勢力拡大できず 1と1/2体制が続く 一方で自民党も汚職事件等で批判をかい、1989年には「ねじれ国会」が生じた。1989年は、消費税反対を掲げた、憲政史上初の女性党首となった土井社会党委員長のもと、社会党が参議院選挙で大勝し、ねじれ国会が生じた。
12 1970年代、1980年代には、自民党は一貫して国政選挙において議席数で過半数を獲得してきた。
- ✕政経の問題。「一貫して」という強調構文は怪しい。70年代ロッキード事件後の総選挙で過半数割れ、1989年参議院選挙で過半数割れ。ここまでの細かな知識は必要ないであろうが、とりあえず、常に過半数確保ではなかった、程度の認識はもっておこう。一方で、「1970年代には、与野党の勢力がほぼ均衡する伯仲時代を迎え、その状況は1980年代末まで続いた。」も✕。伯仲はさすがにない。
13 1993年宮沢内閣に対する内閣不信任案が可決され、宮沢首相は衆議院を解散し、国民に信を問う総選挙に打って出た。
- 〇内閣不信任の可決は戦後4回。現在のところこの93年が最後のものである。政治改革を巡る自民党内の対立を受け、同党議員だった有力者が賛成に回ったため可決された。あ、そうですかと総辞職する訳はない、当然、解散総選挙するしかないよね。なお、別の問題で「リクルート事件などスキャンダルが続発する中、自民党が分裂し」と、リクルート事件に言及したものもある。リクルート事件は、1988年発覚した事件で、リクルート社が、子会社の未公開株をばらまいた汚職事件。竹下内閣の辞任の引き金となったものであるが、1993年の政権交代の遠因として扱われている。リクルート事件は、政経、現社とも教科書記載があるが、こうした結びつきに言及していないので、やや判断が難しいけど、こんなところに落とし穴はさすがにない、そこまで意地悪ではないと思ったほうがいい。これがロッキード事件だったら別だけど。たださすがに、リクルートもロッキードも過去のことになったなー、という印象は否めない。知っておいてほしい汚職事件だけれど、もう出題はないかな・・・。ただ翻って、内閣不信任の可決は93年が最後なので、こいつはまだ問われると心しておこう。
14 前項の総選挙の結果、自民党が過半数割れし、民主党政権に交代し、自民党は結党以来初めて政権与党の座を譲ることになった。
- ✕民主党ではない。この時期は、非自民・非共産の8党派の細川「連立内閣」が成立した。55年以前、1947-48に社会党政権あるも、55年以降では「自民党は結党以来初めて政権与党の座を譲ることになった」のところは正しい。ただし、自民党は過半数割れわしたが、「第一党」自体は維持した。この点を、正誤問題で狙われたこともある。あるいは、こんな問題もあった。「55年体制崩壊直後の衆議院では、自民党が最も多くの議員を擁する第一党であった。」こいつは〇である。55年体制崩壊という大きな転換のため、自民党が首位陥落・・・と思われがちなので、繰り返し問われている問題である。
15 細川連立政権の時に、小選挙区比例代表並立制の選挙改革がなされ、小党でも当選しやすい体制となった。
- 〇「比例代表制」は小党でも当選しやすい制度である。このことも背景に90年代は新党がたくさん成立した そして新党の離合集散を誘引することになる。なお、「比例代表制は、この衆議院での選挙制度改正で、初めて導入された」は✕。後に選挙制度のところで触れるが、1982年の公職選挙法改正により、既に参議院で導入されている。
16 上記の政権の時に、一定の要件を満たした政党に国費から政党交付金を交付する制度を始めた。
- 〇政治にはカネがかかる 特定の企業・団体をバックボーンにした既成政党に対抗して小さな政党が活動しやすいよう また政党がカネ集めに翻弄されず政策立案に専心できるよう導入された。 「政党の重要性を考慮して、政党助成法が制定されて国が政党交付金を交付することとなった。」、これも〇。ただし、国会議員5名以上、もしくは国会議員をもち直近の選挙で2%の得票を得た法人格の政党に対して 一方で共産党は受け取っていない 支持もしていない政党への献金を強制するもので違憲ではないかという批判に基づく。
17 政党と政治家個人に対する企業・団体の献金は全面的に禁止された。
- ✕「政治資金規正法」で、政治家個人に対しては禁止されたが、政党に対しては禁止されていない
18 個人は政党や政治家個人に対して、一定の限度内で献金ができる。
19 政治家が政治資金を集めるため、政治資金パーティーを開くことは禁止されている。
20 自民党はその後日本社会党と連立を組むことで政権復帰するが、この時の首相には日本社会党の党首が就任した。
- 〇冷戦終結を背景とし、従来の保革対立が和らいだことが連立の背景の一つだが、自民党と社会党との連立は一種の「荒技」で、多くの有権者に違和感をもって受け止められた。第一党ではない政党から首相が出たことが試験に問われたことがあるが、第一党党首が首相になるイギリスではあり得ないこと。「内閣総理大臣は、最大議席を有する政党から選出しなくてもよい。」これは日本では〇ということになる。ただし、社会党は、後に勢力を減らし、社会民主党と改名するも現在は消滅寸前になっている。
21 連立政権においては、多様な民意を政権に反映できる反面、有権者の選択とは無関係に、政党間の離合集散が政権の行方を左右することもある。
- 〇以前にも出した問題。全く同じものを再掲したが、迷うことなく〇と判断しただろうか?
22 政権の中枢に返り咲いた自民党は、その後、単独政権として2009年まで政権を握った。
- ✕1999年以降「連立政権」で政権を維持した。連立は公明党などと。なお、構造改革を推進した小泉内閣もこの時期で、2001年~2006年。
23 上記の間、ねじれ国会が生じたことはなかった。
- ✕1998 2007 とねじれ国会。参議院で非自民。1998年金融機関が破綻するなど景気減速感の深まる中、参議院選挙後自民党が過半数割れ。翌年の自民、公明両党などの連立政権発足のきっかけとなった 2007年は、安倍第一次政権下、年金記録問題、閣僚の不祥事等が相次ぐなか参議院選挙で民主党が第1党に。なお、試験では、ここまで掘り下げて問うことはなく、「ねじれ」の意味、「参議院の第一党と内閣総理大臣の所属政党とが異なっていた。」ということを理解しているかどうかが問われた。
24 リーマンショック後の2009年の衆議院選挙によって、自民党は民主党に敗北し、政権を奪われた。
25 この時、結党以来初めて自民党は衆議院第二党へ転落することになった。
- 〇1993の政権転落時は自民党はあくまで第一党。しかしこの時は第二党に転落
26 民主党は、新党の離合集散の中、新たな勢力として台頭し、連立政権というかたちで政権交代を実現した。
- 〇現在民主党は解体されてしまっているので、問われることはないかも知れないが、保守・中道右派を自認する自民党に対して、主に海外メディアからはリベラル・中道左派の政党と位置付けられていた政党。
27 民主党は、普天間基地問題や尖閣諸島問題、東日本大震災への対応で国民の信頼を失い、その政権は短命に終わった。
- 〇この時の迷走が安倍長期政権の背景になっていると思われる
28 2012年自民党が公明党との連立で再び政権を奪取、戦後最長となった安倍政権のもと、連立政権は、衆参ともに憲法改正が可能な2/3以上の議席を獲得したこともある。
- ✕2014、2017の衆議院選挙はともに2/3超えたが、参議院選挙では2/3超えはならず。ただし、2016年の参議院選挙後は「改憲に前向きな勢力」が2/3超え。しかし2019の参議院選挙では「改憲に前向きな勢力」は2/3を割りこみ、憲法改正の議論はやや沈静化。なお、2021の岸田政権下の衆議院選挙でも、2/3には届かず。