【速修】⑧政党・圧力団体・マスメディア(1)政党の歴史
01 現在、政治家のほとんどは政党に属し、比例代表制の場合、政党の公認を受けていなければ出馬できない。
02 政党は、政治的意見、縁故、利害などで結びついた排他的な集団で、政権の獲得と政策の実現をめざす政治集団である。
03 ★政党を結成するためには、国の許可が必要である。
04 日本の政党は、国民を党員として広く取り込んでいるところに特徴がある。
- ✕党員は自民110万、公明44万、共産30万 他も極めて少なく、限定的。
05 大衆政党は、1960年代に、先進各国で脱イデオロギー化が進み、階級対立が曖昧になる中で登場してきた政党類型である。
06 日本の政党の多くは、党議拘束が弱く、個々の多様な意見を尊重する包括的政党である。
07 日本の本格的な政党内閣は昭和になって生まれた。
- ✕大正時代の原敬による 立権政友会の議員を中心に組閣
08 戦後に成立した55年体制とは、1955年に自民党と日本社会党の二大政党が誕生し、以降、保守・革新の二大政党による政権争いが行われることになった対立図式のことを言う。
- 〇戦後の冷戦・東西対立を背景に「保守conservatives」対「革新reformists」という55年体制が成立した。この「二大政党による政権争い」という文言なら〇だが、「55年体制の下では自由民主党と日本社会党が衆議院の議席の多くを占め、両党が政権交代する二大政党制であった。」は✕。「政権交代までには至っていない」。また、「1950年代には、保守合同により自民党が結成され、それに対抗して左右社会党が統一された。」という「括弧つけ問題」が出されたことがある。先に左右に別れていた社会党が統一され、その後の保守合同により55年体制が成立した。政経問題だが、教科書にもそのような流れで記載がある。教科書をよくよく読み込んでおく必要性を痛感する問題。
09 自由民主党は、日本民主党と自由党の保守合同で成立し、1993年まで与党であり続けた。実質的には55年体制は自民党一党優位体制であった。
10 55年体制のもとでは、自民党内の派閥間での抗争が激しく、派閥間で政権交代が行われたという特徴があった。
11 1970年代から80年代にかけては、社会党が野党第一党として革新勢力を合同し、単独で自民党と拮抗することが度々あった。
12 1970年代、1980年代には、自民党は一貫して国政選挙において議席数で過半数を獲得してきた。
13 1993年宮沢内閣に対する内閣不信任案が可決され、宮沢首相は衆議院を解散し、国民に信を問う総選挙に打って出た。
- 〇内閣不信任の可決は戦後4回。現在のところこの93年が最後のものである。政治改革を巡る自民党内の対立を受け、同党議員だった有力者が賛成に回ったため可決された。あ、そうですかと総辞職する訳はない、当然、解散総選挙するしかないよね。なお、別の問題で「リクルート事件などスキャンダルが続発する中、自民党が分裂し」と、リクルート事件に言及したものもある。リクルート事件は、1988年発覚した事件で、リクルート社が、子会社の未公開株をばらまいた汚職事件。竹下内閣の辞任の引き金となったものであるが、1993年の政権交代の遠因として扱われている。リクルート事件は、政経、現社とも教科書記載があるが、こうした結びつきに言及していないので、やや判断が難しいけど、こんなところに落とし穴はさすがにない、そこまで意地悪ではないと思ったほうがいい。これがロッキード事件だったら別だけど。たださすがに、リクルートもロッキードも過去のことになったなー、という印象は否めない。知っておいてほしい汚職事件だけれど、もう出題はないかな・・・。ただ翻って、内閣不信任の可決は93年が最後なので、こいつはまだ問われると心しておこう。
14 前項の総選挙の結果、自民党が過半数割れし、民主党政権に交代し、自民党は結党以来初めて政権与党の座を譲ることになった。
15 細川連立政権の時に、小選挙区比例代表並立制の選挙改革がなされ、小党でも当選しやすい体制となった。
16 上記の政権の時に、一定の要件を満たした政党に国費から政党交付金を交付する制度を始めた。
17 政党と政治家個人に対する企業・団体の献金は全面的に禁止された。
- ✕「政治資金規正法」で、政治家個人に対しては禁止されたが、政党に対しては禁止されていない
19 政治家が政治資金を集めるため、政治資金パーティーを開くことは禁止されている。
- ✕ しばしば開催されている。
20 自民党はその後日本社会党と連立を組むことで政権復帰するが、この時の首相には日本社会党の党首が就任した。
21 連立政権においては、多様な民意を政権に反映できる反面、有権者の選択とは無関係に、政党間の離合集散が政権の行方を左右することもある。
- 〇以前にも出した問題。全く同じものを再掲したが、迷うことなく〇と判断しただろうか?
22 政権の中枢に返り咲いた自民党は、その後、単独政権として2009年まで政権を握った。
23 上記の間、ねじれ国会が生じたことはなかった。
25 この時、結党以来初めて自民党は衆議院第二党へ転落することになった。
- 〇1993の政権転落時は自民党はあくまで第一党。しかしこの時は第二党に転落
26 民主党は、新党の離合集散の中、新たな勢力として台頭し、連立政権というかたちで政権交代を実現した。
27 民主党は、普天間基地問題や尖閣諸島問題、東日本大震災への対応で国民の信頼を失い、その政権は短命に終わった。
- 〇この時の迷走が安倍長期政権の背景になっていると思われる
28 2012年自民党が公明党との連立で再び政権を奪取、戦後最長となった安倍政権のもと、連立政権は、衆参ともに憲法改正が可能な2/3以上の議席を獲得したこともある。