【速修】①政治と法・人権保障と法の支配(4)人権保障・国際連合
60 第二次世界大戦後、国連総会で採択された世界人権宣言には、自由権だけでなく社会権もむ含めた幅広い人権が保障された。
- 〇 「すべての人間は、生まれながら自由で、尊厳と権利について平等である」で始まる世界人権宣言は(universal declaration of human rights)では、20世紀的権利としての社会権の保障も含蓄された。
61 世界人権宣言は条約として国連加盟国に法的拘束力を求めた。
- ✕ 法的拘束力(legality binding)はなかった。「宣言」declarationも広い意味では「条約」treatyではあるが、法的拘束力をもつものと、もたないものと様々。世界人権宣言は法的拘束力をもたなかった。
62 人権を国際的にも保障しようという取組のきっかけとなったのが、アメリカの大統領ウィルソンの14箇条の原則であった。
- ✕ フランクリン・ローズベルトの4つの自由 1941年に一般教書のなかで表明した民主主義の原則
63 世界人権宣言を踏まえて作られた国際人権規約は、法的拘束力をもつものとして成立した。
64 国際人権規約は法的拘束力を持つ条約であるが、締約国が人権尊重の義務を負うのは自国民に限られる。
- ✕ さすがにこれでは意味はないよね。✕。
65 1976年に発行した国際人権規約にはA規約(社会権規約)とB規約(自由権規約)及びB規約の選択議定書があり、日本はすべて批准した。
66 日本は、B規約の公務員のストライキ権を含む3点については留保した。ただし、高等教育の無償化の留保については撤回した。
67 B規約の選択議定書(個人通報制度)、第二選択議定書(死刑廃止条約)、A規約の選択議定書(個人通報制度)についてはすべて批准していない。
68 難民条約の批准に合わせ、政治的迫害又は経済的困窮のために母国を出た外国人が、日本政府の難民認定を受けられるよう、法律が改正された。
- ✕ 後に再び難民については整理するが、「経済的」理由は難民とは認められない。なお、難民条約批准に合わせて「出入国管理及び難民認定法」が制定されたことは知っておこう。これが昨年「改悪」されそうになり、問題視されたが、そういうニュースを耳にしていたであろうか?受験勉強に忙しいとは思うが、日々のニュース、社会問題についてはアンテナをはっておこう。そして自分はどのように考えるのか・・・ぜひ自ら考え判断する市民の一人であってほしい。
69 日本は、人種差別撤廃条約が発効した時点では、これを批准していなかった。
70 国連の人種差別撤廃条約批准を機に、一定期間日本に滞在する外国人を保護することを目的に指紋押捺制度が導入された。
- ✕ 人種差別撤廃条約後に動きがあったのはアイヌ文化振興法。指紋押捺制度は左の文とは逆で根強い批判によって1993年に「廃止」されるが、人権差別撤廃条約の流れとは言えないように思う。むしろ、人種差別撤廃条約批准にあたっては「立法が必要とされる人種差別行為はない」とし、国内法の改正等はなされなかった。日本がこの条約を長らく批准しなかったことは頭に入っていることと思うが、その理由は、この条約が第4条差別思想の流布を法律で処罰するよう求めていることから、憲法の定める〈表現の自由〉に抵触するおそれがあるとして批准に難色をしめしていたそうだ。しかし、同じ理由で批准に難色をしめしていた米国が第4条を留保するかたちで批准すると、日本も第4条を留保して批准したとのこと。その後も国連の人種差別撤廃委員会から国内法の不備が指摘され続けているようである。
71 国連の女性差別撤廃条約を批准した後、男女雇用機会均等法が成立し、求人票における男女不問などが掲げられた。
- ✕ 女性差別撤廃条約は1981年に発効。1985年に日本が批准するに先立って男女雇用機会均等法を成立させた。条約の批准のためには、既存の国内法の追加・改正など国内法整備と一体で進められる必要がある場合があるが、その典型例。前年には国籍法も改正し、父系優先血統主義、つまり父が日本人でないと日本国籍が認められなかったが、父であろうと母であろうとどちらかが日本人であれば日本国籍を取得できるようになった。なお、高校の家庭科の男女必修化は条約批准後、遅れてしまったが1994年のことであった。なお、これと対照的なのが「子どもの権利」。人種差別と同様、子どもの権利は守られているということで法整備は行われなかった。
72 女性差別撤廃条約は、締約国に、男女差別を禁止するだけでなく少子化対策を積極的に行うよう要請している。
- ✕ これも4択で、簡単に判断できる問題がある「括弧つけ問題」のため判断中止でもクリアできるが、どうだろうか、君たちの「感性」が問われているように思うが・・・一つは少子化対策ということになると女性を「産む存在」と捉えていることになりはしないか。女性には自分で産む産まないを自分で決定する権利、これを「リプロダクティブ・ライツ」と呼ぶが、このことを重視するなら、少子化対策自体はなじまないのではないか・・・といった感性。もう一つは日本では少子化が大きな問題だが、アフリカなどではむしろ多産多死の問題がある。そんなところに少子化対策はないだろう・・・といった感性。感性はなかなか鋭くならないが、こうした演習で感性も磨いてもらいたい。答えは✕だ。
73 武力紛争中であっても、紛争当事国は、子どもたちの生活や教育に支障が生じないように努力することが国際法で義務づけられている。
74 子どもの権利条約を批准するために、教育基本法が改正された。
- ✕ とんでもない駄作問題を作ってみたが、案外罠にはまったのでは。教育基本法は2006年に60年ぶりに改正されたが、これまでの「個人の尊厳」を継承しつつ、「公共の精神」などの規範意識にも言及。「我が国と郷土を愛する態度を養うこと」などを教育目標に掲げた。第1次安倍内閣の下のもので、子どもの権利条約とは違う潮流でのもの。子どもの権利については、人種差別と同様、権利自体は守られているということで法整備は行われなかった。子どもの福祉を守る法律として「児童福祉法」があるが、しかし、福祉以外の側面についても国内法の制定が必要だという意見もある なお、センター問題に「子どもの権利条約を批准したが、未成年者保護の観点から、成人と異なった取扱いを行うことは認められている。」といものがあった。〇である。パターナリズムによるものである。
75 子どもの権利条約の批准に合わせ、嫡出でない子の財産相続分を嫡出子よりも低く定めていた民法の規定が改正された。
76 児童虐待防止法は、児童虐待が行われているおそれがある場合には、行政が児童の住居に立ち入って調査することを認めている。
77 国連の障害者権利条約を批准した後に、障害者差別解消法が制定された。
- ✕ これも逆。2006障害者権利条約は、障害者差別解消法で整えた後の2014に批准。批准の前に国内法を整備すべきとの当事者の要望から国内法の整備が加速化された
78 国際司法裁判所の中に人権理事会が設けられた。
- ✕ これも駄作問題だが、「人権理事会」は、2000年代になって組織された新しい「国連の専門機関」であることが問われることもあるので、知っておこう。
79 国際連合(国連)において、人種差別撤廃条約が採択されたのも、先住民族の権利に関する国連宣言が採択されたのも、いずれも20世紀のことである。
80 差別問題の解消には、人権NGOの活動が大きな役割を果たしており、例えばアムネスティ・インターナショナルは、思想・信条・人種などの理由で不当に弾圧されている「良心の因人」の救援に取り組んでいる。
- 〇 現社ではこの程度の常識的問題も出される。
81 条約の締結は日本では国会の権限である。
- ✕ 言うまでもなく、条約 treatyは「内閣」が締結する なお、国際的な人権条約については、「基本的人権」のところでも、もう一度触れ直す