【共通テスト対策】フクフクちゃんの現代社会・倫理・政治・経済

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【今日の時事問題】アファーマティブ・アクションをめぐって その2(ロールズ)

前回、アファーマティブ・アクションに触れた。

fukuchanstudy.hatenablog.com

その背景に、ロールズの思想があったことに言及したい。

まだ「倫理分野」を学習していない受験生、あるいは「倫理」選択者でもまだ現代思想まで辿り着いていないという受験生も多いことであろうが、ロールズあたりは早めに学習しておきたい。

これまで倫理思想については深入りしてこなかったが、今後、少しずつ触れていきたい。

現代アメリカの政治学ロールズについて

さて、そのロールズだが、アファーマティブ・アクションを推進していたハーバード大学の教授として、「公正としての正義 justice as fairness」という新たな政治哲学を構築した現代を代表する「リベラリスト」である。

日本では、終戦時焦土と化した広島の市街地を目撃し、原爆がはなはだしい不正行為であると断じた思想家としても知られている。2002年に亡くなった。

ところで、私は、「倫理」を学習する上で、以下のような視点で捉えるとよいかな・・・と思っている。

①どんな思想(誰?)を乗り越えようとしたのか
②どのような視点から
③どんな主張を展開したのか
④その主張はどんな意義があるのか

※特に①は思想家を理解していく上で大切かと・・・

以下、この視点で簡単に紹介しておく。

ロールズはどんな思想(誰?)を乗り越えようとしたのか

 ロールズが乗り越えようとしたのは、イギリス功利主義の「最大多数の最大幸福」という考え方。

「できるだけ多くの個人の幸福が実現されるとともに、社会全体の幸福も最大のものにならなければならない」というもの。

これは、当時のイギリスが特権階級である貴族や産業革命によって生まれた資本家といった「少数者」が社会の富を独占しており、民衆は貧しい暮らしを余儀なくされていた現状を打破する思想であった。さらにこれは、ヨーロッパに芽生えつつあった民主主義の思想とも通底するものではあったし、20世紀に誕生した「福祉国家」の思想的基盤の一つともなったものである。

また、功利主義の代表者ベンサムは、個人が自分の幸福の増加のみを目指して行動すれば、その行為に対して拘束的に強制力である「制裁」が働くとも説き、政治的制裁を重視、社会全体の幸福を生み出すような法律を制定する必要性を強調した。

ということで功利主義は決して利己主義ではない。ミルも「最大多数の最大幸福」には「多数者の専制の危険性」が孕まれていると考えた。多数者が常に正しいとは限らず、少数者の意見を汲み取るべきだと説き、「個性の自由な発展」が社会全体を進歩させるとした。

しかし、ロールズにとって、功利主義の思想には、あくまで「少数者を犠牲にしかねない」という懸念がつきまとった。個人、あるいは少数者の幸福と社会、あるいは多数者の幸福が対立した場合、功利の原理に従うと、後者が優先され、前者が犠牲になる恐れは否めない。「少数者の意見を汲み取る」だけでよいのか。
また、功利主義は富の生産に関わる原理であり、得られた富をいかに「公正」に「分配」するかについては定まった考えがないものと映った。
そこで、ロールズは、富や権力、自尊心など人間なら誰しも望むものを「基本財」と呼び、不平等や格差、貧困という、社会に生まれた課題に応えていくための、「社会的基本財の再分配のルール」に関する新たな政治哲学の構築に向かっていくことになる。

ロールズは、どのような視点から迫っていったのか

ロールズは、古代ギリシアで議論された「正義」(調和のある状態)というテーマを復権させる。近代以降、不問にされた感のある「正義」を、これまた「社会契約説」を復権させつつ再検討することを試みる。

ロールズは、社会の原初状態を、ホッブズのように「人間の人間に対する闘争」でもなければ、ルソーのように「自己愛と憐れみ」でもない、「無知のベール」と仮想する。これは、地位・能力・性別・人種・年齢など、自分に関するあらゆる情報を「知らないもの」と仮定してみるというものだ。一種の思考実験であるが、そこでは有利も不利もない、全員が公正な状況であり、そこから誰もが合意できるルールを探そうとする。誰もが合意できることこそ正義であるからである。

で、たとえば、「自分が障害者だったらどう思うか」などと想像していくなど、不遇な可能性を考慮する時、人間は最もフェアで、ましな選択をするのではないかとロールズは考える。ゲーム理論における、リスク回避型の『マキシミン・ルール』、想定される最悪の結果を緩和できて、大きなリスクを回避できるような社会のルールを合理的に受け入れると考えられる。そうすると次第に、「公正」な「社会的基本財の再分配のルール」が明らかになってくると言うのだ。

ロールズは、どんな主張を展開したのか

ロールズは、「公正としての正義」として二つの原理を打ち立てる。
いずれも、無知のベールのもとで、どんな人であれ合意できる正義ではないかと。

○第一原理は「平等な自由の原理」というものである。
「基本的権利は平等に「配分」すべきだ」というものである。
これは、ごく当たり前のことのように聞こえるが、実は、功利主義に対する批判を込めたものである。社会全体の幸福の名のもとに個人を犠牲にする訳にはいかないというものだ。どんな人間であれ、性別なり人種なりによって、基本的人権が制限されてはならない、という原理でもある。

○第二原理は「不平等を容認する原理」である。
これは、「不平等のほうが正義に適う場合もある」というもので、第一原理とはある意味で相反するものである。

では、それはどのようなケースなのか?

■公正な「機会均等」原理

その一つが「公正な「機会均等」原理」である。

「機会均等を図ったの上での不平等は仕方がない」という考え方である。
たとえば、君たちが努力してたくさん稼ぐ仕事につけた・・・これは認められるということだ。ただし、これはあくまで、「経済的不平等」。
また、前提に「機会均等」という言葉があるように、平等な競争環境が整備されていることか条件だ。
ところが、現実は、なかなか難しい。そこで、次に出てくるのが、ロールズの思想で最も重視される次の原理である。

■「格差」原理

これは、「不遇な者の境遇改善のための不平等は是認できる」というものである。

ロールズは、諸個人の基本的自由を侵害しないレベルで、機会の平等が失われない程度の「格差の是正」を行うことは、誰もが最も恵まれない人になっていたかもしれない可能性を持つことから、正義の原理「社会的基本財の再分配のルール」に適っているというのである。
たとえば、「累進課税制度」も、格差是正のためのもので、この制度により財の「再分配」が実施されるが、これは「是認」されてしかるべき、ということだ。

そしてまた、これは、前回から触れている「アファーマティブ・アクション」を哲学的に基礎づける「実質的平等」の実現を求めた哲学、ベトナム戦争公民権運動で揺れ動いたアメリカに大きな指針を示した哲学でもあった。

なお、ロールズは「結果の均等」までを提唱した訳ではない。このあたり、かつて共通一次時代に問われたような記憶があるので、押さえておきたい。

受験生諸君、いかがであろうか?この「格差」原理が核心部分である。

なお、かつて共通一次試験では、以下のようなかたちで、ロールズの思想の正誤問題が出題されたことがあった。○か✕か?

 

※「自由や富など、各人がそれぞれに望む生を実現するために必要な基本財を分配する正義の原理を、社会契約説にもとづき探求した」

 

○である。

ロールズの主張はどんな意義があるのか

 ということで、ロールズの主張は福祉国家アファーマティブ・アクションを推進する哲学的基礎づけになったが、他方で、正義論に関する議論を活発化させ、様々な政治哲学を産み落とすことにもなった。

 「個人の自由を最大限に保障すべきである」と、ロールズの平等主義・福祉政策に真っ向から反論したのが、ノージックに代表される、「リバタリアニズム」である。当然、アファーマティブ・アクションも批判する。

 さらに、普遍的な正義を疑問視し、正義は人々の生きる共同体の価値観(共通善)と切り離して論ずることができないというマッキンタイアに代表される「コミュタリアニズム」もロールズを批判する。「ハーバード白熱教室」で広く知られるマイケル・サンデルもその立ち位置であることを知っていると、その議論の展開がより理解しやすいかも。

 

以上、コラムでは初めて倫理思想をとりあげたが、社会人の皆さん、高校生がこうした現代の政治哲学を学んでいること・・・知っていたであろうか?

40年前私が高校生の頃はサルトルあたりで終わり・・・
今や、フーコーはもちろん、アーレントレヴィナスも取り上げられ、共通テストでも出題されている。

一緒に、アップデートしていきませんか?