【共通テスト対策】フクフクちゃんの現代社会・倫理・政治・経済

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【深める】基本的人権 ~大学基礎レヴェルの内容を視野に入れて~ ③裁判におけるいくつかの基準

「二重の基準論」

前回触れた公共の福祉に関わる二つの考え方に近いものとして、多くの裁判で「二重の基準論」による判定が採用されている。

裁判所は、法令が憲法に適合しているかを審査する。

そこでは、精神的自由と経済的自由に対する規制ついて、異なる審査基準を用いて憲法判断を行う。

 

・経済的自由の規制立法に関して適用される「合理性の基準」で審査される。

これは、法律の目的、手段が著しく不合理でない限り合憲とするものである。

・精神的自由は、立憲民主政の政治過程にとって不可欠な権利であるから、済的自由に比べて優越的地位を占める。従って、人権を規制する法律の違憲審査にあたって、より「厳格な基準」によって審査されなければならないとする考え方である。

 

逆に言うと、経済的自由については、明白に違憲でなければ、「国会判斷を尊重すべき」だとされる。
朝日訴訟・堀木訴訟といった生存権の裁判でもそうであったが、司法は、三権分立の観点から、「行政権の裁量」を尊重するという基本的スタンスであることは知っていたと思うが、「立法権の裁量」についても同様であり、ある意味で司法権の限界でもある。

が、あくまで精神自由については・・・より「厳格な基準」によって審査されなければならないとする大原則があることは知っておこう。

 

表現の自由】検閲について

憲法21条

1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

2項 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

精神的な自由については、上記のように、制約が厳しく限定されるということであるが、憲法には、「一切の表現の自由は、これを保障する」とした上で、さらに「検閲は、これはしてはならない」と記している。これはどういう意味か、なぜわざわざ追加しているのか。

これについては、判例があるので、思考トレーニングのためにも判例を読んでみよう。

判例】札幌税関検査事件

外国から輸入しようとした表現物が輸入禁制品とされた行政処分に対し、処分が憲法第21条に違反するとして、その取り消しを求めた事件である。

憲法二一条二項前段は、「検閲は、これをしてはならない。」と規定する。憲法が、表現の自由につき、広くこれを保障する旨の一般的規定を同条一項に置きながら、別に検閲の禁止についてかような特別の規定を設けたのは、検閲がその性質上表現の自由に対する最も厳しい制約となるものであることにかんがみ、これについては、公共の福祉を理由とする例外の許容(憲法一二条、一三条参照)をも認めない趣旨を明らかにしたものと解すべきである。けだし、諸外国においても、表現を事前に規制する 検閲の制度により思想表現の自由が著しく制限されたという歴史的経験があり、また、わが国においても、旧憲法下における出版法(明治二六年法律第一五号)、新聞 紙法(明治四二年法律第四一号)により、文書、図画ないし新聞、雑誌等を出版直前 ないし発行時に提出させた上、その発売、頒布を禁止する権限が内務大臣に与えられ、その運用を通じて実質的な検閲が行われたほか、映画法(昭和一四年法律第六六 号)により映画フイルムにつき内務大臣による典型的な検閲が行われる等、思想の自由な発表、交流が妨げられるに至つた経験を有するのであつて、憲法二一条二項前段 の規定は、これらの経験に基づいて、検閲の絶対的禁止を宣言した趣旨と解されるのである。そして、前記のような沿革に基づき、右の解釈を前提として考究すると、憲法二一 条二項にいう「検閲」とは、行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべきである。【最大判昭59.12.12:札幌税関検査事件】

 

上記の判例を踏まえて、以下のうち検閲に当たるものはどれか(創作問題)
①プライバシーを侵害したとして出版差止めが認められた。
②税関検査で外国の映像がわいせつであると判断され没収された。
③小中高の学校の教科書は、文部科学大臣の検定に合格しなければ教科書として出版できない。
④政府批判を展開した社説の掲載を事前に抑制した。


この4択であれば解答は簡単。

④である。もちろんこんなことがあっては自由な民主主義国家とは言えない。ただし、①~③についても微妙なところがある。

 

①「石に泳ぐ魚事件」を連想したことと思う。えっ、これって検閲じゃないのと思ったら間違い。検閲はあくまで国が行うもの。これは訴訟で私人間のものなので検閲には当たらない。

 

②これも最高裁で裁かれたケース。国外のものは既に国外で発表済であり、検閲には当たらないという判決。ただし、これには異論もある。

 

教科書検定制度自体については、最高裁で公共の福祉によるやむを得ない限度の制限を受けるものであり、教科用図書検定で不合格となった教科書が一般図書として販売されることは禁止されていないのだから、検閲ではないと判断された(異論はある)。ただし、「家永教科書裁判」では、検定処分の一部が「違法」であったという判決がくだされ、原告が一部勝訴した。

 

政教分離】「目的・効果基準」

信教の自由(政教分離)について、「津地鎮祭訴訟」と「愛媛玉ぐし料訴訟」で異なった判決(合憲・違憲)が出たことは知っているはず。

その際、ともに「目的・効果基準」が用いられ、その基準によって異なる判断結果となった。

 

その名の通り、行為の目的と効果を分析し、

目的が「宗教的性格・意義をもつかどうか」

②その行為が特定の宗教への「援助、あるいは圧迫、干渉等の効果をもつかどうか」

という基準がそれである。


・津での「地鎮祭」は、「世俗的行事」であり、特定宗教の援助に当たらない →合憲
・愛媛での「玉ぐし奉納」は、「宗教行事」であり、特定宗教の援助に当たる →違憲

と判断された。

 

目的と手段の合理性審査

【判例】森林法共有林事件

①「目的」と②「手段」という二つの観点から「合理性」を判断するという裁判の典型例が、違憲判決が出た森林法の「共有林分割制限規定」に関する裁判。

森林が兄弟に1/2ずつ贈与されたが、自分の持分を分割請求したいと思ったところ、森林法に「共有林の分割を請求することはできない」とあり、これは憲法29条が保障する財産権の侵害ではないか、ということからの裁判。

 

①目的審査

「共有林分割の制限」は、森林細分化の防止により森林経営の安定化を目指すものであり、「目的」としては「公共の福祉」に適合するため合理性がある。

②手段審査

しかし、共有物分割の自由を封じられると、共有者間が不和対立を生じても共有関係を解消するすべがないことになる。

このことの合理的理由は到底見出し難く・・・立法目的を達成するための「手段」として著しく不合理立法府裁量権を逸脱したことが明白であるといわざるをえない。

といった論法で違憲判決がくだされた。

 

今後、判例の問題が出てきたら、「目的」と「手段」といった言葉に注意すると、解法に役立つかも知れないので、意識しておこう。

 

【創作問題】

上記、「目的・効果基準」と「目的と手段の合理性」を含めて、こんな問題を考えてみた。

 

以下のうち、判例・学説に照らし合わせて、正しいと考えられるものをひとつ選びなさい。
①弱者の社会権を実現するためであれば、必要な範囲で強者の経済的自由を制限してもよいと考えられている。
②国家権力は、合理的な理由があれば特定の宗教への援助、あるいは圧迫、干渉等の行為を行うことはできる
とされる。
③法の規定が手段として不合理であっても目的が合理的であれば、違憲ではないとされている。
④精神の自由については、明白に違憲でなければ、立法権、行政権の裁量権を尊重すべきだとされる。

 

答えとしては簡単①。

しかし、これはここまで読み込んできたから判断できるもの。これが初見だとかなり迷うはず。

 

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