76 古代の日本において尊ばれた、神や他人を欺かず偽ることのない心のありようを、漢意という。
- ✕「清き明き心」。漢意は国学で否定された外来思想。
77 古代の日本において見られた、自然物や自然現象すべてに精霊が宿るとする信仰を、神仏習合という。
- ✕「アミニズム」と言う。神仏習合は、仏教の中に日本の神々が融合され、一つの信仰体系として再構築されたたことを言う
78 古代の日本における、山川草木などのすべての自然物に霊魂が宿るというアニミズムの思想があり、この思想は、社会秩序を重んじるものであり、これを乱す行為を罪や穢れとして忌み嫌った。
- 〇 ケガレを忌み嫌う → 祓い・禊が求められることになる。
79 神道において信仰される八百万の神は、事物や現象などすべての自然物に宿る霊的存在を統合した人格神である。
80 神道は、アニミズムの色彩を持ち、日本人の道徳や習慣の基本を形成してきたが、明治政府により国教としての統一聖典が整備された。
- ✕統一聖典はない
81 仏教は、外来宗教の一つであり、平安時代には「大乗仏教」と呼ばれる日本独自の仏教思想が成立した。
- ✕大乗仏教は日本独自ではない。
83 空海は、阿弥陀如来との一体化を説いた。
- 妙な問題を作ったが、以下のことを知っておきたい。
原始仏教では「真理」を悟ることが仏教の核心であったが、次第に人々がすがる絶対的な存在者が生み出されてくる。その中心が大日如来である。
多神教のヒンドゥー教の影響を受けたもので、「大日如来」は太陽を司る「毘盧舎那如来」(→東大寺)がさらに進化した仏で、密教では宇宙の真理を現し、宇宙そのものを指す。また、すべての命あるものは大日如来から生まれたとされ、「釈迦如来」(ゴータマ=シッダールタ→お釈迦様)や「薬師如来」(東方浄瑠璃世界の教主)、「阿弥陀如来」(西方極楽浄土の教主)も含めて他の仏は大日如来の化身と考えられている。・・・空海が求めたのは大日如来との一体化。
84 奈良時代、日本古来の神々の信仰と仏教の信仰がぶつかり合い、廃仏毀釈と呼ばれる排斥の動きが広がった。
85 鎌倉時代に、武士や民衆の間で広まった、「南無阿弥陀仏」とひたすら念仏を唱えれば救われるという、仏教の考えの一つが絶対他力である。
86 法然は、「南無妙法蓮華経」の題目を唱え、来世ではなく現世に仏の世界を実現することを説いた。
- ✕日蓮。
87 法然は、ひたすら座禅を行なう只管打坐により、心身ともに一切の執着から解き放たれるとという、心身脱落を説いた。
- ✕道元。
91 儒教は、江戸幕府による保護を受け、宗祖の廟に全国から庶民が巡礼に訪れるようになった。
92 朱子学は、中国では仏教教義として発展し、日本では江戸幕府によって官学とされた。
- ✕後段は正しい。ところが中程は誤り。中国でも、仏教教義ではなく儒学の一派。
93 伊藤仁斎は、朱子学よりも古い儒教の原典を吟味し、それを否定することで、「誠」を論じた。
94 キリスト教は、戦国時代にイエズス会宣教師によって伝えられて、その後西日本を中心に広まり、庶民だけでなく大名にも信仰する者が現れた。
- 〇これは常識的に考えて〇。
と言うことで、結局は4択の場合、これはさすがに間違いではないだろう・・・という文章を選べばよいということだ。
95 国学において、日本の古代の神々のことばや行動にみられる理想的な生き方は、漢意と呼ばれる。
- 〇よくもあしくも生まれつきたるままの心を「真心(まごころ)」と呼び重視。
96 国学において、日本の古代の神々のことばや行動にみられる理想的な生き方は、漢意と呼ばれる。
- ✕「惟神の道」が正しい。漢意は否定された。
97 本居宣長は、キリスト教の思想に対比して、日本人の心情として、 「もののあはれ」の重要性を説いた。
98 佐久間象山は、幕末に東洋の道徳、西洋の芸術を唱え、東洋の儒教道徳と西洋の科学技術をつなげようとする思想を説いた。
- 〇いち早く西洋科学技術の摂取を説く。
「東洋の道徳、西洋の芸術」→「和魂洋才」
99 福沢諭吉は、国民一人ひとりが独立自尊の精神を身につけることが、近代的独立国家実現の前提であると説いた。
100 中江兆民は、恩賜的民権を国民自身の手による恢復的民権に育てなければならないと主張した。
- 〇ルソーの『社会契約論』を訳し、「恩賜的民権」(為政者から与えられた民権)から「恢復的民権」(人民が勝ち取った民権)への転換を説いた。
101 内村鑑三は、外国から伝わったキリスト教を日本の武士道に接合することを、提唱した。
102 夏目漱石は、異文化との接触で苦しむなかで、他者を排したエゴイズムとしての自己本位の立場に自らの拠りどころを見いだした。
103 夏目漱石は、西洋に対して東洋に特徴的である人間存在のあり方を、人と人との関係において存在する「間柄的存在」と名づけた。
- ✕「間柄的存在」は和辻哲郎の言葉。人間は「個人としての自己」と「社会の一員である自己」の両方を併せもつという考え方。
104 西田幾多郎は、主観と客観が対立する以前の状態に純粋経験を見いだし、それこそが真の実在であるとした。
105 和辻哲郎は、季節風の影響を受けるモンスーン地域に位置する日本の文化的な特徴について、受容的・忍従的な精神性を有するものとして説明した。
- 〇和辻はハイデッカーに触発され、世界内存在ならぬ「間柄的存在」という存在規定もした。「風土」で自然の特徴によって人間の特性が決定されると指摘した。(モンスーン型・牧場型・砂漠型)