【共通テスト対策】フクフクちゃんの現代社会・倫理・政治・経済

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【速修】倫理の正誤問題 ②倫理思想(4)日本思想

76 古代の日本において尊ばれた、神や他人を欺かず偽ることのない心のありようを、漢意という。
  • ✕「清き明き心」。漢意は国学で否定された外来思想。

 

77 古代の日本において見られた、自然物や自然現象すべてに精霊が宿るとする信仰を、神仏習合という。
  • ✕「アミニズム」と言う。神仏習合は、仏教の中に日本の神々が融合され、一つの信仰体系として再構築されたたことを言う

 

78 古代の日本における、山川草木などのすべての自然物に霊魂が宿るというアニミズムの思想があり、この思想は、社会秩序を重んじるものであり、これを乱す行為を罪や穢れとして忌み嫌った。
  • 〇 ケガレを忌み嫌う → 祓い・禊が求められることになる。

 

79 神道において信仰される八百万の神は、事物や現象などすべての自然物に宿る霊的存在を統合した人格神である。
  • ✕「統合した人格神」は誤り。この世をうんだのは「高天原」(神々の世界)のイザナギイザナミ。それを命じたのは「天つ神」、「天つ神」もまた占いによってそれよれ上位の、名前さえ明らかにされていない神の意志を伺う →最も尊貴な神として祀られるアマテラスであっても,みずから他の神を祀っている。・・・日本神話には唯一絶対の究極神「統合した人格神」は存在しない。  

 

80 神道は、アニミズムの色彩を持ち、日本人の道徳や習慣の基本を形成してきたが、明治政府により国教としての統一聖典が整備された。

 

81 仏教は、外来宗教の一つであり、平安時代には「大乗仏教」と呼ばれる日本独自の仏教思想が成立した。

 

82 奈良時代、最澄は、あらゆる生きものは仏となる本性があるとし、誰でもが仏の境地に達することができるという主張を展開した。 

 

83 空海は、阿弥陀如来との一体化を説いた。

 

84 奈良時代、日本古来の神々の信仰と仏教の信仰がぶつかり合い、廃仏毀釈と呼ばれる排斥の動きが広がった。
  • ✕逆で、「神仏習合」の動きが広がった。平安時代になると、仏が本地(本来のもの)、神が垂迹(迹(あと)を垂(た)れる→仮の姿として現れる)という「本地垂迹説」と呼ばれる教えが生まれた。これに基づき、神道八百万の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた「権現」であるとされた。

    なお明治時代になると、天皇親政をうたう政府は、天皇を神聖化するために、「神道」を重視、神道国教化を図ろうとし、神仏分離に着手、「廃仏毀釈」が進められた。

 

85 鎌倉時代に、武士や民衆の間で広まった、「南無阿弥陀仏」とひたすら念仏を唱えれば救われるという、仏教の考えの一つが絶対他力である。
  • 平安時代半ば以降、末法思想が流行し、人々の不安が高まった。死後に阿弥陀仏の待つ西方極楽浄土での救いを求める浄土信仰が広く受け入れられていった。そうした中、鎌倉時代に入ると、複雑な思想を単純化することで民衆の間に広く受け入れられるとともに、教えは対照的ではあるが、心情や行が純化した時、自ずと真理に合すると教えた点では共通の基盤に立つ、鎌倉仏教が生まれてくることになった。そのひとつが、法然の「専修念仏」による極楽浄土への往生を説く教え。念仏という易行を絶対化し、「他力本願」という新たな地平を切り開いた。   

 

86 法然は、「南無妙法蓮華経」の題目を唱え、来世ではなく現世に仏の世界を実現することを説いた。

 

87 法然は、ひたすら座禅を行なう只管打坐により、心身ともに一切の執着から解き放たれるとという、心身脱落を説いた。

 

88 道元は、阿弥陀仏の広大な慈悲の力に身を任せるという、絶対他力の教えを説いた。

 

89 日蓮は、修行によって、生きた身のまま、宇宙の根本原理である大日如来に一体化して悟りが開かれるという、即身成仏の教えを説いた。

 

90 親鸞は、煩悩にまみれ、阿弥陀仏の本願にすがる以外にない者こそ、救われると説いた。
  • 〇「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と「悪人正機説」と呼ばれる親鸞の考え方。

 

91 儒教は、江戸幕府による保護を受け、宗祖の廟に全国から庶民が巡礼に訪れるようになった。
  • ✕徳川将軍は、太平の世をもたらす身分秩序の原理をもたらす基礎づけを「朱子学」に求めた。そのため、問題文は〇だと思うかも。
    しかし、学問としての朱子学は保護したが、儒教を保護した訳ではない。庶民は古来の神社仏閣、特に伊勢参りや四国巡礼等が盛んであった。

 

92 朱子学は、中国では仏教教義として発展し、日本では江戸幕府によって官学とされた。
  • ✕後段は正しい。ところが中程は誤り。中国でも、仏教教義ではなく儒学の一派。

 

93 伊藤仁斎は、朱子学よりも古い儒教の原典を吟味し、それを否定することで、「誠」を論じた。
  • ✕否定ではなく、古い儒教の、「仁」の中に「誠」を見出した。仁斎は、「論語」が宇宙第一の書であるとし、仁とは「愛」であり、「真実無偽」の「誠」があるなら自ずと成立すると説いた。日本古来の「清き明き心」に通じる主張を展開。

 

94 キリスト教は、戦国時代にイエズス会宣教師によって伝えられて、その後西日本を中心に広まり、庶民だけでなく大名にも信仰する者が現れた。
  • 〇これは常識的に考えて〇。
    と言うことで、結局は4択の場合、これはさすがに間違いではないだろう・・・という文章を選べばよいということだ。

 

95 国学において、日本の古代の神々のことばや行動にみられる理想的な生き方は、漢意と呼ばれる。

 

  • 〇よくもあしくも生まれつきたるままの心を「真心(まごころ)」と呼び重視。

 

96 国学において、日本の古代の神々のことばや行動にみられる理想的な生き方は、漢意と呼ばれる。
  • ✕「惟神の道」が正しい。漢意は否定された。

 

97 本居宣長は、キリスト教の思想に対比して、日本人の心情として、 「もののあはれ」の重要性を説いた。
  • キリスト教ではなく、儒教や仏教に対して。なお「もののあはれ」に引きつけられて〇と判断した者もいるはず。
    主語述部の結論は正しくても、ちょっと論点とはずれたところに落とし穴が作られることもあるので注意。あくまで、儒教や仏教に影響された考え方を「漢意(からごころ)」と呼び、批判。

 

98 佐久間象山は、幕末に東洋の道徳、西洋の芸術を唱え、東洋の儒教道徳と西洋の科学技術をつなげようとする思想を説いた。
  • 〇いち早く西洋科学技術の摂取を説く。
    「東洋の道徳、西洋の芸術」→「和魂洋才」  

 

99 福沢諭吉は、国民一人ひとりが独立自尊の精神を身につけることが、近代的独立国家実現の前提であると説いた。
  • 〇天賦人権論(人間は生まれながらに権利をもつ)、独立自尊(自主独立の精神)、実学(日常生活に役立つ学問)を提唱した。

 

100 中江兆民は、恩賜的民権を国民自身の手による恢復的民権に育てなければならないと主張した。
  • 〇ルソーの『社会契約論』を訳し、「恩賜的民権」(為政者から与えられた民権)から「恢復的民権」(人民が勝ち取った民権)への転換を説いた。 

 

101 内村鑑三は、外国から伝わったキリスト教を日本の武士道に接合することを、提唱した。
  • 〇「二つのJ 」(イエスJesusと日本Japan)・・・ 信仰と愛国心は矛盾しないとし、無教会主義を提唱し、神の前に個人として向き合う。 

 

102 夏目漱石は、異文化との接触で苦しむなかで、他者を排したエゴイズムとしての自己本位の立場に自らの拠りどころを見いだした。
  • 漱石の説いた「自己本位」は「他者を排したエゴイズム」ではなく 自己の欲求を満たしつつ他者をも尊重するもので、自己中心的なエゴイズムを乗り越えようとしたもの。
    夏目漱石は日本の文明開化は外発的なものであり、内面的開化には「自己本位」の態度が必要であると説いた。

 

103 夏目漱石は、西洋に対して東洋に特徴的である人間存在のあり方を、人と人との関係において存在する「間柄的存在」と名づけた。
  • ✕「間柄的存在」は和辻哲郎の言葉。人間は「個人としての自己」と「社会の一員である自己」の両方を併せもつという考え方。 

 

104 西田幾多郎は、主観と客観が対立する以前の状態に純粋経験を見いだし、それこそが真の実在であるとした。
  • 〇「純粋経験」(自己と対象が分かれず一体となった状態:主客未分)こそ唯一の実在であり真の自己・・・好きな音楽にわれを忘れて聞き入っている時→「われ」と「音楽」が一体化。
    こうした純粋経験を成り立たせている「無限の統一力」と一体化し、自己が自己らしい「円満なる発達を遂げる」人格の実現こそが「善」である、と・・・真の意味で「自分」であること以上の「善」はない、西田は、ここに徹底的な平等があり、非差別的な哲学をみたという。難解だが、理解できるだろうか?

 

105 和辻哲郎は、季節風の影響を受けるモンスーン地域に位置する日本の文化的な特徴について、受容的・忍従的な精神性を有するものとして説明した。
  • 〇和辻はハイデッカーに触発され、世界内存在ならぬ「間柄的存在」という存在規定もした。「風土」で自然の特徴によって人間の特性が決定されると指摘した。(モンスーン型・牧場型・砂漠型)

 

106 共同体の調和や世間の思惑を重んじる特徴をもつ日本文化を恥の文化と表現したのは、文化人類学者のルース・ベネディクトである。
  • 〇『菊と刀』。対して、西洋を「罪の文化」と規定した。

    ・・・以上、現代社会の倫理分野、過去問を中心に見てきたが、出題される可能性のある事項はまだまだ沢山ある。三つで括って覚えるで、漏れのないように基礎事項だけインプットしておけば何とかなる。