18 ピコ=デラ=ミランドラは、人間中心主義(ヒューマニズム)の考え方から、人間の尊厳の根拠となる自由意志の意義を説いた。
- 〇ピコ・デラ・ミランドラは、「人間の尊厳について」で、人間は「自由意志」によって自分の生き方やあり方を決定できる、そこに尊厳があると考えた。
19 パスカルは、人間は弱き葦のような存在ではあるが、自らの力をはるかに凌駕する宇宙について考えることのできる存在だとみなした。
- 〇パスカルは「人間は考える葦である」とし、「考える」ことに人間の尊厳があると考えた。
20 パスカルは、全宇宙に比して悲惨な存在でありながら、それを自覚することで尊厳をもつ人間のあり方を、「ダス・マン」として説いた。
- ✕「ダス・マン」はハイデッガーの言葉。
21 観察や実験によって得られた様々な事実を基にして、それらに共通する一般的法則を見いだす思考方法は、ベーコンが重要視した弁証法である。
22 ベーコンは権威によることなく経験や実験によって帰納的に真理を探求することの重要性を説いた。
23 演繹法は、だれもが疑うことのできないことから出発し、推論と論証を積み重ねて、新しい知識を発見していく思考法で、デカルトが方法的懐疑に用いた。
24 デカルトは、理性を演繹的に用いた論証によって真理を見いだせるとした。
26 ホッブズは、万人の万人に対する闘争を回避するために、人々が自然権を国家から獲得したと論じた。
- ✕自然権を「国家に全面譲渡」が正しい。
27 ロックは、政府が社会契約に違反した場合でも、人々が抵抗権(革命権)を行使して政府を変更してはならないと考えた。
- ✕「革命権」があると主張。
28 ロックは心は白紙のようなもので、知識は経験によって得られるという経験論を唱えた。
- 〇ロックは、ベーコンが切り開いたイギリス経験論の認識論も展開したことも知っておこう。生得観念の存在を否定、心は「タブラ・ラサ」(白紙)であるとした。
29 ルソーは自然状態を自由、平等、平和ではあるが所有権が不安定であると考えた。
30 ルソーは自然権を共同体に譲渡することで、社会的自由を獲得することができると説いた。
- 〇ルソーは、しかし、ホッブズが統治者に譲渡すべきと考えたのに対して「共同体」への譲渡を説いた。「全員が譲渡すれば、全員が全員の主権者になる」という論法によって、むしろ譲渡による「主権」の再獲得という転換を図った。人間は社会契約によって、自然的自由と無制限の権利を失い、一方で、社会的自由と所有権を得るのであると。
31 ルソーは、公共の利益を目指し全人民が納得できる一般意思を形成することが大切であるとし、間接民主政治を主張した。
- ✕後段は無論、「直接民主政治」。ただし、前段は正しい。ルソーは一般意思を「公共の利益」を目指し、全人民が納得できる意思と捉え、それに従う必要があると説き、利己的な意思の総和である全体意思を斥けた。
32 カントは認識の基礎と理性の限界を問うことで経験論と合理論の統合を試みた。
33 カントは人間は「目的」として扱われなければならず、「手段」としてのみ扱ってはならないと述べた。
- 〇互いに他の「人格」を「目的」として尊重し、決して手段としない結合体「目的の王国」を理想社会とした。
34 カントは、その著書『社会契約論』のなかで、集団安全保障の考え方を提唱した。
- ✕『永久平和のために』という書物である。『社会契約論』はルソー。こんな単純な知識問題、ある意味では受験生にとってはありがたい。
35 人間が自らの意思で規範を定め、それに従う状態を、カントは責任と呼び、そこに人間の尊厳の根拠を求めている。
36 ヘーゲルは、カントが最高の原理と考えた「道徳」ではなく、弁証法の立場から、人間の社会関係の抽象的な形式である客観的な「法」と、人の主観的な確信にすぎない「道徳」との止揚的に統一したものとした「人倫」を考えた。
37 T.ホッブズは、幸福は計算可能であり、「最大多数の最大幸福」を立法などの基準にするべきとした。
- ✕「最大多数の最大幸福」はベンサム。
38 ベンサムは、最も多くの人に最も大きな幸福をもたらす行為が善であるとし、立法などの基準にすべきと主張した。
39 J.S.ミルは、他者に何ら危害を及ぼさない限り、個人の自由は最大限尊重されるべきであるとして、個人の利益と社会の利益との調和を重んじた。
- 〇「他者危害の原則」 という。個人の自由は無制限ではなく、他者の生命等を損なう場合は一定の制裁を加えても良い。
他方で、他者への権利侵害がなければ、人間の自由は最大限に尊重されなければならないというもの。
後段の「個人の利益と社会の利益との調和を重んじた」あたりはうまくまとめた表現で参考になる。超頻出項目でもある。
40 J.S.ミルは、人は自由であるためにその行動に責任があり、個人として生きることは同時に「社会参加(アンガジュマン)」を意味するものであると考えた。