今年の受験生は「選挙」や「政治制度」そのものについてリアルタイムで学んでいることになる。
東京都知事選挙、兵庫県知事の不信任決議、自民党総裁選挙、そして今回の第50回衆議院総選挙。おまけにアメリカの大統領選挙も。それぞれの時に、いろいろなことを学んだに違いない。
こころのとこ仕事が立て込んでいてブログ更新がままなになかったが、また少しずつ発信していこうと思う。
で、今回は、衆議院選挙の結果等を踏まえながら、受験生諸君に知っておいてほしいことに触れたい。
衆議院選挙2024
選挙結果は、自民党が191議席、公明党が24議席。合わせて215議席。過半数は233議席なので、自民党と公明党の「与党」の議席が「過半数」を割ったことになる。若者からすれば、物心ついたころからずっと「自民一強」時代、あるいは一時「官邸1強」「安倍1強」が続いていた訳だから、えっ、何が起こったの?・・・と、戸惑いを感じているかも知れない。
が、裏金問題から「国民をなめんなよ」と、自民党にとっては手痛い審判が下った。単独過半数を割り込んだだけでなく、連立を組む公明党を入れても過半数に達しないという「少数与党」となった。
ただし、一方で、「野党」が結束できず、「政権交代」には至らなかった。これは30年前とは違った。
しかし、「少数与党」となった自民・公明による「内閣」は、今後、厳しい国会運営を強いられ、数の論理による強行採決もできず、法案の成立もなかなか困難な状況になったことには間違いない。
ここで、衆議院選挙結果について、以下のことを確認しておきたい。
◆安定多数 244議席
全ての常任委員会で半数を確保し、委員長を独占
◆絶対安定多数 261議席
全ての常任委員会で過半数を確保し、委員長を独占
◆3分の2 310議席
参議院で否決された法案を再可決できる
憲法改正の発議ができる
今回、過半数を割ったことから、予算委員会の委員長は立憲民主党が担うことに・・・などの報道を聞いたことと思うが、上記のような状況でないと、政権運営は難航する。
で、受験生諸君に知っておいてほしいのが、そもそも、君たちが過ごしてきた「自民党一強」時代が例外、ある意味で「異常」事態だったのかもしれないということ。
今回「30年ぶりに」とか「15年ぶりに」とか・・・といった表現に出くわしたことも多いと思う。君たちが生まれる前の状況は結構波乱含み。
実は、自民党の「過半数割れ」は何も今回が初めてではない。また、「ねじれ国会」なんていう時期もあった。
以下、「現在」と照応しつつ、政治の移り変わりのドラマを垣間見よう。いろいろと基礎知識の再確認にもなるので、読み込んでほしい。
やや長いので、3回に分けて掲載する。
① 1993年の「政権交代」→55年体制の崩壊
1993年第40回衆議院議員総選挙(投票率67.26)で誕生した細川連立政権。自民党が衆議院で「過半数割れ」したものの、「比較第一党」であったにもかかわらず、それぞれ政治思想が異なる非自民の8党が結集して、国民の人気の高かった衆議院第五党日本新党(35議席)党首の細川護熙を擁立した。この結果、共産党を除く非自民の細川「連立政権」が成立し、「55年体制」が崩壊するという大転換が生じた。
「55年体制」とは、戦後10年たった1955年に成立し、以降40年近く続いた、「自民党と社会党が対峙した体制」。ただしアメリカの二大政党のように政権交代がある訳ではなく、自民党と社会党の2:1体制。憲法改正を阻止する1/3を社会党が死守していたにすぎない。
一方で、55年体制のもとでは、自民党内の派閥間での抗争が激しく、「派閥間」で政権交代が行われたという特徴があった。
ただし、総選挙で、今回のように、自民党が単独過半数割れをしたことがなかった訳ではない。ロッキード事件後の1976年の選挙では自民党は惨敗している。また1989年には参議院で社会党が第一党となり、「ねじれ国会」となったこともある。この時の社会党の土井たか子委員長は、「山は動いた」と表現した。しかし、これは例外で、基本的には安定的に自民党が政権運営を維持した。
では、なぜ、1993年に、大転換が生じたのか?
この転換の背景には、まずは、自民党の宮沢内閣に対する野党の「不信任決議」案があった。
今回の裏金問題と同様に、当時も「政治と金」をめぐって様々な課題があり、金のかかる中選挙区制度に対する見直しの動きが強まっていた。ところが宮沢政権は見直しに後ろ向き。そこで政治改革を実行するべきだと考える自民党の議員が、不信任決議案に賛成したり、採決に欠席したりして、野党に同調、その結果、不信任決議案が可決されてしまったというところに起点がある。バブルの崩壊に加え、リクルート事件などスキャンダルが続発する中、ある意味で「自民党の分裂」が招いた結果であった。
この結果、戦後4回目の(従って初めてのことではないが)不信任決議が可決されることになった。以降現在までは、不信任決議案が可決されたことはないが、もし第一党が内部分裂すれば、こういう形の69条解散)解散もあり得るということだ。
「解散」総選挙の結果、自民党は、現在と同様「比較第一党」自体は維持したが、223議席にとどまり、野党が結束することで、自民党は結党以来、初めて政権与党の座を譲ることになった。