「共有地(コモンズ)の悲劇」とは?
誰もが利用可能な共有の放牧地で、ある人が利益をあげようと家畜数を増やしていったとする。そうすると、牧草が不足して、全体としては損失が生じてしまう。さらに、他の個人も、自分も利益をあげたいと羊を増やしていったとすると、結果的には牧草がいよいよ減っていき、最終的には全員が放牧できなくなる。これが「共有地(コモンズ)の悲劇」というジレンマである。
これを帝国書院の「公共」では、詳しく取り上げ、以下のような場面設定で考察させようとしている。
場面設定:「ある村に5人の村人がいる。村には村人が共同で所有する牧草地(共有地)があり、そこで一人20頭ずつの羊を飼っている。村人は羊を売ることで生計を立てている。羊は皆まるまると太っていて1頭100万円の価値がある。しかし、羊の数を今より1頭増やすと、飼料となる牧草が1頭分減るため、羊の価値は1万円分減ってしまう。」
で、「あなたが村人であったら、この状況で羊の頭数を増やすであろうか?下の表の空欄を埋めながら考えてみよう」という問いかけをしている。
下の表とは以下のようなものである(ただし、簡略化して提示する)。
2頭増やしたらどうなるか?羊1頭の価値は「98万」に下がるけど、自分の保有する羊の価値の合計は98万×22頭で・・・2156万と増加する。となると、「自分のことだけを考える」と、頭数を増やした方が得策。
しかし、全体では、羊1頭の価値は「98万」に下がり、頭数は102頭だとすると、「村全体の価値の合計」は9996万と利益は減ってしまう。となると、「全体としては得策ではない」ということになる。
で、教科書では、さらに、もし村人の羊を増やしたらどうなるのか?と問いかけている。ただし、教科書には、これに対する表は提示されていないので、以下のような表を作ってみた。
「自分だけ」2頭増やせば2156万得ることができるが、皆が2頭増やせば、一人当たりの収入は1980万へと激減してしまうのである。
全体も9000万と、9996万から1000万近くも少なくなってしまうのである。
と言うことで、「共有地(コモンズ)の悲劇」は、自分の利益を優先してしまい、結果として、全体にとっては望ましくない選択になってしまうという、実は「囚人のジレンマ」の一例なのである。囚人のジレンマは2人の間のものであったが、これは2人以上の、ある意味「拡張版」だと思ってもらってよい。
悲劇を回避するには
この悲劇を回避するにはどうすればよいのか?基本的に、個々人の自由な競争を基調とする市場機構では解決することができない。それはある意味で「市場の失敗」の一例でもある。
この問題を解消するには、人々が他者と協調する動機を持つような制度を設計する必要があり、理論的には二つの方法があるとされる。
一つは牧草地を共有地とするのではなく、それぞれの羊飼いに、区画を分けた私有地を与えて羊を飼育させる方法である。「私的財産権」の保障が稀少資源の有効利用を図る上で重要であることを意味する。私的財産だと自分が不利になるような資源の活用はしないからだ。言ってみれば「私的アプローチ」である。しかし一方で、私有化が行き過ぎると本来共有すべき土地や財産まで囲い込んで利益につなげようとする者が出てくるという問題が生じる。
もう一つは、ルールを定め、資源の枯渇や内部でのトラブルを回避する方法である。実際、伝統的な社会では,入会地がだめになったら地域全体の生活が脅かされるので,その消費を「持続可能」な範囲に収める強い「規範」があった。しかし市場経済と資本主義が根本的なシステムを形作っている現代社会においては、その保証があるとは言い難い。そこで政府が一元的に管理したり規制したりする方法がとられる場合もある。「公的アプローチ」であるが、利用者から不満が出たり、生産性が制限されてしまうこともあり得る。
もっとも、牧草地のような、地域コミュニティが集団で所有・管理して無償で利用できるが、アクセスはコミュニティのメンバーに限定されているといった「 ローカル・コモンズ」場合、「全体を優先した方が得策だ」ということがメンバー間で共有されれば「悲劇」を回避するのはそう難しくはないかもしれない。
グローバル・コモンズのジレンマ
しかし、大気や土地、海といった地球を構成している自然環境のような「グローバル・コモンズ」の場合、やっかいである。海は排他的経済水域・領海と公海などに分けられているが、公海での資源乱獲の問題が生じる。また、大気については明確な境界線が引けず、分割することはできない。それが故に、大気にコモンズ・「共有資源」という感覚は持ちにくいが、共通テスト試作問題には、以下のような文章の正誤判断が求められた。
「家畜として飼育されている牛が排出するメタンは温暖化を促進する効果があることが指摘されているが,これは小さな環境負荷が集積すると大きな影響を生むという意味で,「共有地の悲劇」と呼ばれる構造の例となっている。」
私自身は、この牛のゲップ問題を「共有地の悲劇」と同じ構造とは思えなかったが、実はこの文章は正しいものとして設定されたものであった。
これまで見てきたように「共有地の悲劇」は「自分の利益を優先してしまい、結果として、全体にとっては望ましくない選択になってしまう」、「資源が過剰に使われてしまい、結果として枯渇を招いてしまう」という意味であったが、確かに「小さな環境負荷が集積すると大きな影響を生む」という点では齟齬はないということなのであろう。枯渇ではなく、二酸化炭素の増加なので、同じ「構造」とは言いにくいのではないかと思ってみたりもしたが、必要であったのは、「大気」はまさしく「コモンズ」(共有資源)であるという認識であったのだろう。
「牧草地」の例だけに囚われていると気づきにくいということで、「グローバル・コモンズ」という視点もしっかりと頭に入れておきたい。
で、さらに重要なのは、この「グローバル・コモンズ」が市場経済と資本主義が根本的なシステムを形作っている現代社会において、また先進国と発展途上国との格差がある現状からして、「持続可能」な範囲に収める強い「規範」に合意することはなかなか難しいという点。そうしたジレンマの中、「大気」については今現在辿り着いているのがパリ条約であるが、発展途上国も取り込むため「共通だが差異ある責任」という原則がとられていることは受験生にとっては必須事項。地球環境問題に対しては全ての国に共通責任があるが、各国の責任回避への寄与度と能力とは異なっているという考え方である。しかしこうした二元論のままでよいかという問題で、これまたジレンマである。
と言うことで、「脱資本主義」「脱成長」という根本的な転換を提言しているのが斎藤幸平氏である。若きオピニオンリーダーの『人新世の「資本論」』あたりを読破することも、受験生には大いに勧めたい。 生き方、社会のあり方を根本的に変えないと、未来はないということである。
また、以前、「環境破壊」・外部不経済自体がそもそも囚人のジレンマの構造にあることに触れたが、そのジレンマから抜け出るために、今日、ある動きが出つつある。
そのひとつが「ESG投資」である。ESGは、環境(Environment)・社会(Social)・ガバナンス(Governance)の英語の頭文字を合わせた言葉であるが、それらに真摯に取り組もうとしている企業を応援しようという動きである。つまり、国や企業だけではなく、「消費者」の選択が、囚人のジレンマから、グローバル・コモンズの悲劇から抜け出るひとつの鍵であるということだ。農薬や化成肥料を使わない有機農法の野菜、代替ミート、エコラベルが付いている商品、自然エネルギー・再生可能なエネルギーなど、地球環境にやさしいものを求める動きも同様である。
消費者が、「全体を優先した生き方をしないと未来はない」と判断し行動すれば、生産者にも変化が生じてくる。消費者が「規範」を作れば、悲劇の進行が回避できるのではないか、ということである。先に、「私的アプローチ」と「公的アプローチ」の二つを確認したが、「共的アプローチ」という第三の方法論と言ってもよいかもしれない。
共有資源の位置関係を把握しておこう
また振り返りになるが、公共財には「フリーライダー」問題があったが、「共有資源・コモンズ」(あるいはコモンプール財とも言う)も「利用の競合性」があり、「潜在的利用者を排除するにはコストがかかる」という二つの性格を有する資源で、フリーライダーが生じやすいという点で公共財と共通している。
論理的判断能力を問う問題として、以下の正誤を判断してみよう。
◆「海洋漁業における水産資源は、すべての漁業者が無償で等しく漁を行うことができるという理由で、競合的な性格を持たない。」
→海洋漁業は、対価を支払わない漁業者を排除できない、無償で漁を行うことができるといった点から「非排除性」を持つ。しかし、一方で、競い合って資源を獲得しようとするので、「競合性」はある。込み合うと網がからんで漁にならなくなる。乱獲が進むと魚が獲れなくなる。→×
コモンズは、以下のマトリックスだと左下に該当する。
純粋公共財と違って、競合性があるため、過剰消費され、資源の枯渇という課題があるが、マトリックスでどこに位置づけられるものなのか、目に焼き付けておくとよい。
オーバーツーリズム
現在、外国人観光客が増えて、現地の住民の生活や環境に悪影響を及ぼすというオーバーツーリズムが社会問題になっている。
このオーバーツーリズムも実は「共有地の悲劇」のひとつである。
また、ある経済活動が市場を通さないところで「第三者に」悪い影響を与えるもので、「外部不経済」のひとつでもある。
このオーバーツーリズムに焦点を当てた共通テスト問題の出題は大いにあり得る。
たとえば、以下のような正誤問題を創作してみた。
◆以下のうち正しいのは?正しいもの全て選びなさい。
①観光地は、誰でも訪れることができるので、競合性は生じない。
②観光地は資源そのものではないのでなくなってしまうことはないが、排除性はもつ。
②オーバーツーリズムは、観光客によって観光地に利益がもたらされる一方で、人気観光地は混雑が生じてしまい敬遠されてしまうというジレンマである。
④オーバーツーリズムは、観光業者間の競合が過熱する問題である。
⑤オーバーツーリズムは、地域住民に対して負の外部不経済をもたらす。
⑥オーバーツーリズムは、混雑の問題だけでなくゴミ問題という弊害ももたらす。⑦オーバーツーリズムは、観光客に体験の質的劣化や満足度の低下をもたらす場合も ある。 ⑧オーバーツーリズムには、外国人旅行者への過剰な配慮を観光業者に強いてくるという問題もある。
答えは⑤⑥⑦だが、①は当然競合性があり混雑をもたらすという弊害がある。②排除性がないので過剰になる。③④も違う。⑤のように第三者の地域住民に対して悪影響を及ぼすもので、それは「負の外部不経済」である。⑥ごみ問題なども典型的な「負の外部不経済」である。また⑦のように旅行者に跳ね返ってくるような課題もある。⑧は意味不明な文章。イスラム教徒にハラルフードを提供することでむしろビジネスチャンスを掴むケースもある。
また、対策について、生徒同士が議論するような問題も考えられる。
◆混雑するバス対策
生徒A 観光地ではバスが満員で、地域住民が利用できないという問題が生じているようだ。どうすればよいと思う?
生徒B そうだね。ひとつは、地下鉄利用をよびかけることかな。
生徒A でも、呼びかけただけでは変わらないんじゃないかな。
生徒B じゃ、( ① )という方法はどうだろうか?
生徒A 確かに、そういう方法もあるよね。でも、「公正」という面ではどうかな?それに、わずかだったら効果が出ないような気もするな。
生徒B もうひとつ、( ② )する方法はどうだろうか?たとえば、地域住民を優先させて、余った席があれば観光客も乗車させるというふうに。
生徒A 観光客から不満が出るような気がするな。
生徒B じゃ、( ③ )という方法はどうだろう。
生徒A 確かに、そうなると不公平感はなくなるかもね。そうなると、観光客専用のバスという意味にもなるけど、でも、これでは、やっぱり多くのバスが運行され渋滞自体の課題解決にはつながらないかもね。
で、( ④ )という方法はどうだろう?
生徒B 賛成だね。ある意味では規制だけれど、観光についてはある程度規制があっても許されるんじゃないかな?
それと可能なら、( ⑤ )という方法もあるかも。バス会社と地下鉄の会社が違うなら難しいけど、社会実験的に試行してみると、案外ウィン・ウィンだったりして。
生徒A いろいろな対策を試してみる必要があるね。ア 観光客にはバス利用に時間設定する
イ 観光客のバス利用に入場制限をかける
ウ 住民と観光客の乗り場を別にする
エ 観光客にはバス料金を割高にする
オ 住民のバス料金を割安にする
カ 一部地下鉄を利用する場合は、その区間の地下鉄を割安にする①エ ②イ ③ウ ④ア ⑤カ
なお、経済的なインセティブ(誘因)がエオカ、規制がアイウ。
以上、「共有地の悲劇」にかかわって様々なことに触れたが、次の世代にもかかわる大切な問題なので、受験生諸君一人一人、無自覚な「フリーライダー」にならないだけでなく、賢い消費者・主権者・地域の担い手になるよう、思考力を高めていこう。