01 ニクソン・ショック後、通貨の発行量が金保有量に制約を受けない管理通貨制度が採用された。
- ✕「管理通貨制度」への移行は第二次大戦前の世界恐慌時のこと。金の保有とは無関係に各国政府が通貨量を管理できる管理通貨制度はそれなりの大きなメリットがあった。戦後の世界経済の基軸となった「ブレトン・ウッズ協定」は、アメリカのドルを基軸通貨とした「固定為替相場制」をとることで安定化を図り、貿易を再開・発展させようとしたもので、ある意味では「ドルを媒介とした金本位制」でもあった。
ところが、1960年代になるとアメリカは、国際収支が慢性的に赤字となり、ドルの信用は低下していった。各国がドルと金との交換を求めた結果、アメリカ・ニクソン大統領は、自国の金の保有量、生産量では世界のドルと金を交換することができなくなるとし、1971年、「ドルと金との交換停止」を発表、国際社会に大きなショックを与え、通貨制度は大きく混乱することになった。この結果、各国が為替相場を市場の自由な取引にゆだねる「変動為替相場制」に移行することになった。従って、「変動為替相場制」に移行したなら正しい。
02 ニクソン・ショック後、戦後経済を支えたブレトンウッズ体制の崩壊を受けて、『経済白書』において「もはや戦後ではない」と表現された。
- ✕「もはや戦後ではない」は1956年のもの。ニクソンショックの後は、それまでは強いドルに支えられ円安基調で輸出に有利であったが、それなりの経済的自立を求められた。
03 OPEC(石油輸出国機構)による原油価格の引上げをきっかけに第一次石油危機が生じ、高度経済成長が終わった。
- 〇1973年の第一次石油危機は戦後日本経済の大きなターニングポイントのひとつ。
04 第一次石油危機、日本列島改造政策による地価の高騰等を背景に狂乱物価と呼ばれるインフレが生じ、トイレットペーパーの買い占め騒動が起こった。
- 〇コロナ禍におけるマスク不足、薬品不足等、受験生も非常時の混乱を体験したかと思うが、この時のトイレットペーパー買占め騒動のニュースは、私自身もよく覚えている。
05 第一次石油危機に伴う景気後退期には、政府が金融緩和による総需要拡大策を実施することでインフレの抑制を図った。
- ✕総需要拡大策ではインフレをあおるだけ。総需要「抑制」策でインフレを押さえた。なお、現在日本も久しぶりに「インフレ」となり生活に影響が出てきた。アメリカは常套手段の「金融引き締め」を実施しているが、日本は「金融緩和」は継続したまま。これが正しい選択なのかどうか???
06 第一次石油危機の影響もあり、1974年の実質経済成長率は戦後初めてマイナスを記録した。
- 〇この「戦後始めてのマイナス成長」はインプットしておきたい。
07 第一次石油危機後、赤字国債を発行するという対応が図られた。
08 1970年代前半に石油危機に直面したとき、日本は石油の代替エネルギーを開発するために大規模な投資を行ったので、先進国の中ではいち早く石油危機を脱することができた。
- ✕代替エネルギーではなく、「省エネ」。
09 1970年代後半には、政府一般会計歳出額の対名目GDP(国内総生産)比率が上昇した。
- 〇低成長故に政府の財政規模が増大してきたということ。
10 第二次石油危機の影響もあり、1980年代前半の実質経済成長率はマイナスを続けた。
- ✕様々な工夫で、「安定成長」となった。
11 二度の石油危機をきっかけに、エレクトロニクス技術を利用した省資源・省エネルギー型の加工組立産業が発展した。
- 〇技術革新・省エネ等で、日本はいち早く石油危機後の混乱を乗り越えた。
12 石油危機などを背景に、日本の製造業では「重厚長大」型産業から「軽薄短小」型産業へと産業構造の転換が進んだとされる。
- 〇重化学工業から精密機械工業。
13 石油危機後の不況期には、省エネ・省資源・省力化を中心とした減量経営が進められるなかで、生産や事務の機械化・自動化が行われた。
- 〇いわゆるオートメーション化が進んだ。
14 安定成長期には、自動車の輸出が急激に増加したことにより日米間で初めての貿易摩擦が生じた。
- ✕既に「繊維」など高度経済成長期から貿易摩擦は生じていたため「初めて」は誤り。「初めて」とか「一貫して」といった強調構文には警戒を。
15 1980年代前半から日本の対米自動車輸出自主規制が開始された。
16 1980年代半ば、三公社(電電公社,専売公社,国鉄)の民営化が進められた。
17 1985年のプラザ合意に基づくドル安誘導策による急激な円高をきっかけに輸出産業が不振となり、円高不況が生じた。
18 1970年代末から80年代初頭のアメリカでは、第二次石油危機の結果、インフレが加速するとともに景気が悪化していた。
19 円高圧力はアメリカからみるとドル相場の適正化を意味しており、日本の経常収支黒字は急速に減少した。
- ✕輸出は不振となったが・・・「急速に」という強調はあやしい証し。経常収支は貿易収支と金融収支からなるので、4択でとりあえず括弧に入れる文章かな。
ただし、この時期はあくまで「安定成長期」であったという認識があれば、あやしいと判断できるかも。なお、経常収支について言うと、第二次オイルショック後の1980年は赤字であったが、以降は黒字で推移している。
しかし、実は、現在円安・資源高で「赤字」に転落しそうな状況にある。そうなると大きく報道されることになり、次々回の共通テストでは、経常収支あたりが問われるかも。
20 円が急激に高くなったため、日本の主要な輸出産業は国際競争力を大幅に低下させ、失業問題が深刻になった。
21 大幅な円高とアジア諸国の安価な製品の流入を背景に、国内・国外の製品市場で中小企業は激しい競争にさらされた。
- 〇1970年代以降アジアNIES(韓国・台湾・香港・シンガポール)が急速な工業化と高い経済成長率を達成したという知識があれば、〇と判断できるのでは。
22 日本企業は円高圧力に対応するため、国内では付加価値の低い製品の生産に重点を置き、付加価値の高い製品の生産は海外に移す傾向を強めた。
- ✕反対で、国内では「付加価値の高い製品」。独自技術のハイテク製品(電子部品・製造ロボット他)などが該当するが、ある意味ではそれも固定観念で、全く違う発想で「付加価値の高い製品」を生み出す場合もある。
23 円高不況期には、円高の進行に対応するために、サービス産業を中心に海外に拠点を移す企業が増えた。
- ✕「製造業」を海外移転。このため、1980年代後半からは「産業の空洞化」ということが危惧されるようになった。
24 金融収支の大幅黒字が続いたため、豊富な資金が株式投資に向けられた。
- ✕「金融収支」はそもそも「資産」であって「カネ」ではない。
「経常収支」が黒字であったので・・・なら間違いではないが、ここでは、金融緩和で、国内に「低金利で豊富な資金」があったためというのが正解か。
25 当時は低金利の状態にあり、預金金利に満足しない企業や個人も株・土地の投機に関与するようになり、「財テク」という言葉が流行した。
26 企業や家計の余剰資金が株式や土地などへの投機に向けられ、リゾート開発への投資も増加した。
- 〇1980年代後半、リゾート産業の振興と国民経済の均衡的発展を促進するため、多様な余暇活動が楽しめる場を総合的に整備することを目指し、通称リゾート法と呼ばれる法が成立した。地域振興の名の下、地方のリゾート開発に税制上の優遇措置や政府系機関による低利融資がなされたが、これも投資の対象となった。しかし、現在はこのリゾートが経営困難になって立ち消えしたものも少なくない。
27 低金利政策が続いて資金調達が容易になったため、政府は赤字国債の発行を積極的に拡大した。
- ✕前者と後者は論理的な整合性がない。バブル景気のため、1991年から93年まで赤字国債が発行されなかったことも知っておきたい。
28 外国企業が国際都市としての東京にオフィスを求めて集まってきたこともあって、不動産価格が高騰した。
- 〇バブル期地価が高騰した。その一因として、外資系企業の進出もあったんだね。
29 金融自由化の影響で証券市場が不安定になることを恐れた企業が、株式を売却して、その資金を土地購入に振り向けたので、不動産価格が高騰した。
- ✕金融の自由化が本格化するのは1990年代半ばのことであるが、バブル期は、株価が上昇基調だったので、売却せずにいた。これが「バブル」の意味であり、後にはじけて打撃を与える背景となる。
なお、企業の中には、投資に要する資金をまかなうため「株式を積極的に発行する」ケースもあった。間接金融から直接金融への移行も、バブルを支えた。
30 地価や株価の上昇は、この時期の個人消費を増加させる重要な原因の一つとなった。
- 〇バブル期は個人消費も活発だった。
31 企業の保有する土地の担保価値が上昇したため、企業に対する銀行の貸出しが増加した。
- 〇銀行は「土地」などを「担保」として貸し付けを行うという基本的なことを理解しているかどうかか分かれ目。
32 バブル期の地価上昇の一つの背景として、日本では土地価格は上がることはあっても決して下がることはないという、いわゆる土地神話があった。
- 〇あくまで「神話」であったが、そのように思われていた。
33 地価が上昇したため、住宅投資は減少傾向にあった。
- ✕〇だと思ったのではないかな。けれど現実は、消費意欲も高まり、マンション等も含めた住宅投資も活発であった。持ち家も、政府の住宅ローン減税もあり、また消費税導入に伴い優遇期間が延びるなどの変更で、減少傾向とはならなかった。しかし、こんなの聞いて委員会問題だよね。
34 消費税が導入されて、直接税中心の従来の税制よりも、税収が景気変動の影響を受けにくくなった。
35 土地取引が過熱化したにもかかわらず、日本銀行の金融引締め政策が遅れ、地価高騰に拍車をかけた。
- 〇政府・日銀の失敗かな。
36 「双子の赤字」に苦しんだアメリカは,日米構造協議や日米包括経済協議を通じて日本に市場開放を迫った。
37 日米構造協議では、関税などの貿易政策にとどまらず、日本国内における流通機構などの改善についても取り上げられた。
- 〇1989年~バブル絶頂期に貿易・経済摩擦があったということだが、流通機構についても日本に様々な規制があり非効率的であると批判された。後に触れる大規模小売店舗法の規制についてもやり玉に挙がった。
38 経済取引の自由化が進展する中で、企業系列を重視する日本の取引慣行が欧米から批判された。
- 〇企業系列は、株式の持ち合いや役員の派遣を通じて密接な関係を維持し、特に垂直的系列では、系列企業間で長期的な販売・購入関係を築いている場合が多く、外国企業に新規参入を許さない、閉じられたものだと批判された。
39 1980年代末に行われた日米構造協議の結果として,大規模小売店舗法の改正が行われ,大型店の立地が促進された。
41 製造業の海外移転が進んだのは、海外だと円高による影響が少ないというメリットの他、人件費が安い国だとコストをかけずに生産できるからである。
- 〇
まず前段について・・・海外だと「外貨建て」なので、たとえ円高になったとしても、「外貨建て」価格自体に変動はないので、高くなり、買い渋られるということはない。また、1ドルの製品について…1ドル=100円から1ドル=50円になると、利潤が減るように思うが、円高の場合は、利潤を円に替えずに「外貨建て」で保有していれば問題はない。だから円高の場合は、国内で製造し輸出するよりも、海外で生産したほうがよい、ということになる。
なお、日本企業の海外で生産した利潤、その外貨建ての内部留保は相当な額に上っているらしい。
次に後段について・・・アメリカの場合は人件費が安いとは言い難いが、アジアの場合は、当時はかなり安かった。中国が1978年から市場経済へ移行、後に世界の工場となっていくが、日本の製造業も、人件費が安いため、中国やアジア各地での現地生産を図るところも多くなっていった。ただし、現在は、後に触れるが、製造業の日本回帰という現象も出てきた。
42 産業の空洞化を危惧して、政府は、労働者を確保するため自国内の賃金水準の上昇につながる経済対策を進めたり、対外直接投資の対象となる国には法人税率の引下げを求めたりした。
- ✕逆の論理である。自国内の賃金水準が相対的に高いから海外へ、また当該国の法人税が低いと海外移転がより進むことになる。
なお、無論、政府はこのような要請はしていないが、一方で抜本的な解決策も見出すことができず、製造業は、外国には真似のできない高い技術力で付加価値製品を作り、そこに活路を見出すしかないのが現状である。
しかし、現在、急激な「円安」によって、製造業の日本回帰という現象も生じてきた。円安ということは円の購買力が低いということで、「海外からの輸送費」が高くつく、「海外の人件費」も実質的にかなり上昇する・・・ということで、日本回帰の動きも出てきているとのこと。
ただし、あくまで限定的で、これが定着するかどうかは未知数だが、思考力問題として問われる可能性も十分あるので、理解を深めておきたい側面である。
43 日米間で懸案となっていた日本による牛肉・オレンジの輸入自由化が合意された。
- 〇1991年のことであるが、時代的には日米構造協議などと同じ時期で、「貿易摩擦」のひとつとして圧力がかかったものと理解しておこう。
44 1980年代後半の低金利の下で地価や株価が高騰したが、その後、一層の金融緩和政策が採られ、平成不況に入った。
- ✕緩和ではなく、金融「引締」政策が採られ、そのタイミングが遅かったため「平成不況」に。
45 バブル経済崩壊の直接的契機は、急速な円高による輸入品価格の下落であり、これによって地価の下落が始まった。
- ✕輸入品の下落が地価の下落に結びつく訳がない。不動産価格を下落させたのは、地価の高騰を抑えるために政府が行った「総量規制」とされる。総量規制は、土地の購入に充てる融資額の総量を減らすという規制のこと。この総量規制に加え、公定歩合を2.5%→6%に引き上げたことで、土地購入の過熱化に歯止めがかかった。
なお、総量規制という言葉は教科書にも出ているが、高校生には、ここまで聞いて委員会。そこで、問題文のようにとんでもない支離滅裂な文章・・・ある意味ありがたいと思おう。
46 1990年代初めに湾岸戦争が勃発し、その後、日本が国際貢献の財源として消費税を導入したことによって、それまでの過剰な消費ブームが急速に冷め、その結果、バブル景気に終止符が打たれた。